生活再発見

浮御堂・大津市本堅田

浮御堂・大津市本堅田

基本情報
名称 浮御堂
URL
文化財指定等 近江八景「堅田の落雁」。聖観音坐像は国重要文化財。
浮御堂、山門、観音堂、茶室玉鈎亭は国登録有形文化財。近江水の宝(平成21年度)選定
所在地 大津市本堅田1丁目16番18号
電話番号 077-572-0455
拝観時間 8時~17時
定休日等 無休
拝観料 大人300円、小学生100円※大人30人以上で280円
※平成23年2月現在

~高僧・源信が願いを込めて建てた仏堂が起源~

対岸が非常に近く感じられ、浮御堂の向こうに湖東の風景が見える。

「近江八景」のひとつ、「堅田の落雁」として有名な浮御堂。湖面に浮かぶような、その美しい姿もさることながら、琵琶湖が最も狭まる所に位置しており、対岸の山々を一望できる景勝地としても人気を集めている。浮御堂は岸から20mほど突き出しているため、東に伊吹山、長命寺山、三上山、沖島、西に比良連峰、比叡山などを眺めることができる。琵琶湖の水と滋賀の山々の姿を同時に堪能できる場所として、古くから多くの人々に愛されてきた。四季折々に見せる姿はどれも趣き深く、訪れた人々の目と心を楽しませてくれる。

山門は竜宮造の形式。扉がなく浮御堂を見通すことができる。

 浮御堂は京都紫野大徳寺に属する臨済宗の禅寺で、正式な名称を「海門山満月寺」という。寺伝によると、平安時代の中期に比叡山横川にある恵心院に隠棲していた源信が建立した建物に始まっている。横川から日々琵琶湖を眺めていた源信が、湖上の通船の安全と、生きているものすべてを迷いの中から救済し、悟りの世界へ導くことを願い、自ら造った一千体の阿弥陀仏を湖中に建てた「千仏閣」または「千体仏堂」と呼ばれる堂に納めたと伝わっている。
 源信は恵心僧都(えしんそうず)と尊称される天台宗の僧で、多くの仏教の経典や論書などから、極楽往生に関する重要な文章を集めた仏教書『往生要集(おうじょうようしゅう)』の著者でもある。源信は浄土教の基礎を創っただけでなく、『往生要集』の内容は貴族から一般民衆まで広く浸透し、後の文学思想にも大きな影響を与えたともいわれる。
 紫式部の『源氏物語』宇治十帖の中で、物の怪にとり憑かれていた浮舟を助ける「横川の僧都」は、源信がモデルとされている。芥川龍之介の『地獄変』にも「横川の僧都」が重要のキャラクターとして登場するが、これも源信がモデルだと思われる。

浮御堂内に「千体仏」が安置されている。

 湖上交通の要地である堅田は昔から戦場となることが多く、浮御堂が荒廃する時代もあったが、江戸時代になって大徳寺の住持によって復興された。江戸時代から昭和9年(1934年)の室戸台風によって倒壊するまで立っていた浮御堂は、京都御所の桜町天皇から下賜された能舞台を用いて建立されたものだったという。現在の浮御堂は昭和12年(1937年)に再建されたもので、木造平屋建、瓦葺の三間仏堂。設計者は西崎辰之助技師。お堂の中には阿弥陀仏一千体が安置され、これを「千体仏」と呼んでいる。たくさんの阿弥陀像が納められているのは「数作善」の信仰が平安時代にあり、仏像を作れば作るほど功徳があると信じられていたことによるものだ。

境内にある句碑のひとつ、「比良三上雪さしわたせ鷺の橋」。

 浮御堂の境内には5つの句碑がある。松尾芭蕉の「比良三上雪さしわたせ鷺の橋」と「鎖あけて月さし入れよ浮み堂」、高浜虚子の「湖もこの辺にして鳥渡る」、高桑蘭更(たかくわらんこう)の「病雁も残らで春の渚かな」、阿波野青畝(あわのせいほ)の「五月雨の雨だればかり浮御堂」。これらの句以外にも、大川斗囿や小林一茶らが句を残しており、浮御堂の姿が多くの俳人たちの心に何かを残したのだろう。
 堅田は交通の要所であったため、行脚中だった一休や蓮如が浮御堂に滞在したといわれている。また歌川広重、葛飾北斎もこの地を訪れて、琵琶湖の絶景を愛したのだ。今に名を残す文人墨客たちの目に、当時の浮御堂はどのように映ったのだろう。閑静な雰囲気につつまれた浮御堂を見ながら、彼らと心を通わせるのも面白い。
(取材日:平成22年12月10日)

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