歴史再発見

大笹原神社本殿・野洲市大篠原

大笹原神社本殿・野洲市大篠原

基本情報
名称 大笹原神社本殿
URL
文化財指定等 【国宝】・本殿
【国指定重要文化財】・境内社篠原神社本殿
所在地 野洲市大篠原2375
電話番号
拝観時間
定休日等
料金
※平成22年9月現在

~「国宝」にふさわしい本殿の様式美~

大笹原神社参道入り口に建つ赤い鳥居。この先の左手に本殿が鎮座する。

大笹原神社参道入り口に建つ赤い鳥居。この先の左手に本殿が鎮座する。

 滋賀県には22件の国宝建造物がある。そのうち、神社建築に関係する国宝は三井寺境内神社「新羅善神堂」を含む1寺5社7件。野洲市大篠原の森の中にひっそりとたたずむ大笹原神社の本殿は、その貴重な国宝神社建造物のうちのひとつだ。だが、同神社を訪ねてみると、「国宝」と冠するわりにはこぢんまりとしていて、素人目には一見この建物がなぜ「国宝」に選ばれたのかを理解するのは難しいように思われる。実際、彦根城や石山寺などほかの県内の国宝建造物の迫力に比べると、正直、期待はずれに感じてしまうかもしれない。

 そんな大笹原神社本殿だが、特徴といわれる緻密な建築技法をつぶさに眺めていると、この「国宝」が「国宝」たる所以が少しずつ理解できてくるに違いない。大笹原神社本殿の素晴らしさは、その規模や由緒にあるというよりも、珍しくも美しい独特の建築様式にあるのだ。

こぢんまりとした外観ながら繊細な装飾が施された大笹原神社本殿。

こぢんまりとした外観ながら繊細な装飾が施された大笹原神社本殿。

 湖東交通の大動脈、国道8号線の大篠原の交差点からわずか1km足らず、大笹原神社は、「古今和歌集」など数々の歌に詠まれた信仰の山、「鏡山」の麓に広がる森の中にある。大篠原の集落を通り抜け、日野川の小さな支流、光善寺川に架かる橋を渡って少し進むと、砂利道の大笹原神社参道へとつながる。そこから参道入り口に堂々と建つ大きな赤い鳥居をくぐって奥へ進むと、左手に鎮座する国宝大笹原神社本殿が見えてくる。大型トラックがけたたましい音を立ててひっきりなしに通り過ぎる国道からはほんの目と鼻の先。そんなところに深い緑と静寂に包まれた古社、しかも「国宝」に指定された社殿があるなどとは思いもよらないかもしれない。
 大笹原神社は、記録にあるだけでも平安時代中期の寛和2年(986年)に越知諸実が社領を寄進して再興したとあることから、創建そのものはさらに古い時代にさかのぼると推定される。祭神には、須佐之男神(すさのおのみこと)、櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)、二神の子供の八柱御子神(やはしらみこがみ)のほか、宇多天皇と宇多天皇の皇子の敦實親王(あつざねしんのう)、佐々木高綱公などを祀る。宇多天皇、敦實親王は中世の近江国守護佐々木六角氏の祖で、大笹原神社が一族の篤い崇敬を受けていたことは想像に難くない。天照大御神の弟神である須佐之男命は、悪疫悪病を除き、良縁、厄除けなどにご利益があるとして、周辺の氏子たちの信仰も篤かった。

底なし沼といわれるだけの雰囲気が漂う寄倍池。言い伝えどおりならば、2基の神輿が沈んでいるはずだ。

底なし沼といわれるだけの雰囲気が漂う寄倍池。言い伝えどおりならば、2基の神輿が沈んでいるはずだ。

 また、地域の気候の特性や雨乞い信仰のあった背後の鏡山(竜王山)との関係性もあるのだろうか、大笹原神社でも雨乞い神事が執り行われていたという。本殿に向かって境内右手には底なし沼といわれた寄部池(よるべいけ)があり、その昔、周辺が干ばつに見舞われたとき、雨乞いのために神輿2基がこの池に投げ込まれたそうだ。するとその後、どんなに日照りが続いても池の水が涸れることはなくなったという言い伝えが残されている。
 明治34年に国宝に指定された本殿は、室町時代の応永21年(1414年)に再建されたということが棟札から判別している。神社建築らしい白木(素木)造りの檜皮葺だが、本殿には花模様の透かし彫りを施した「花狭間格子」や、軒下の「組物」、組物と組物の間の木組「中備」(なかぞなえ)に「蟇股」(かえるまた)を採り入れるなど、仏教建築に由来する木組が施されている。本殿の両脇に付いた板戸「脇障子」の彫刻には細密な装飾も見られる。
 本殿は桁行三間、梁間三間の入母屋造(いりもやづくり)※1と呼ばれる構造形式で、神社建築によく見られる千木(ちぎ)※2や鰹木(かつおぎ)※3がなく、切り立った屋根がほかの神社建築にはあまり見られない独特の趣を醸し出している。また、建物の背面の壁には寺院建築、城郭建築に見られるような漆喰が用いられている。
 元来、神明造(しんめいづくり)※4などに見られる神社建築は、切妻の葺屋根(檜皮葺や茅葺など)に白木造り、高床式など、日本固有の建築様式を守り伝えていることが多い。これは、仏教伝来以降、寺院建築が興隆することによって、かえって神社建築にはその違いが意識されて、あえて古代の様式が採用されていたとも考えられる。だが、神仏習合による仏教の影響が強くなり、神社建築に仏教的装飾性が加味されていくなかで、この大笹原神社の本殿は建てられたようだ。

拝殿からみる国宝本殿と重文の篠原神社。ほかに2つの摂社が右手にある。

拝殿からみる国宝本殿と重文の篠原神社。ほかに2つの摂社が右手にある。

 大笹原神社には国宝本殿のほかにも、その脇に石凝姥命(いしこりどめのみこと)を祀る国の重要文化財、境内社篠原神社本殿がある。応永34年(1427年)築のこの檜皮葺の建物は、一間社隅木入りの春日造(かすがづくり)※5という構造形式で、小さいながらも高欄付きの縁をめぐらし、凝った造りになっている。鏡山周辺のこのあたり一帯は、鏡餅の発祥の地ともいわれ、篠原神社は「餅の宮」とも呼ばれてきた。古代から中世にかけての街道、「東山道」(とうさんどう)の宿駅であった「篠原」周辺では、この地域で産する良質の米を用いた餅が売られ、街道を行き交う旅人の間でもてはやされたという。この良質のもち米に感謝する思いから「餅の宮」は建てられたと伝えられている。
 国宝と重要文化財の社が並んで鎮座する大笹原神社。大笹原神社の本殿は、40年ごとに檜皮の葺き替えを行うという。葺き替え作業が定期的に行われるということで、過去から現在、そして未来へと匠の技が時を越えて紡がれていく。一見するだけでは国宝らしい迫力を感じ取ることは難しい大笹原神社の本殿。だが、こうして細部を見ていくと、国宝建造物たる威厳が少しずつ感じられてくることだろう。
(取材日:平成22年6月)

※1…入母屋造は東アジアに広く見られる屋根の形。日本では寺院建築、城郭建築に多く見られる
※2…屋根の両端最上部で交叉させた木
※3…屋根最上部の棟木の上に棟と直角になるように何本か並べた木
※4…伊勢神宮に代表される最も古い神社建築様式
※5…奈良・春日大社に特徴的な神社建築様式

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