伝統再発見

左義長まつり・近江八幡市宮内町

左義長まつり・近江八幡市宮内町

基本情報
名称 左義長まつり
URL http://www.omi8.com/maturi/sagicho.htm
(近江八幡観光物産協会HP)
文化財指定等 国選択無形民俗文化財、県指定無形民俗文化財
開催地 近江八幡旧市街~日牟禮八幡宮前(滋賀県近江八幡市宮内町257)
電話番号 0748-33-6061(近江八幡駅北口観光案内所)
開催日 毎年3月14日、15日にもっとも近い土・日曜に開催
開催時間
料金 無料
※平成22年11月現在

~燃え盛る炎で春を呼ぶ、天下の奇祭~

左義長まつりの風景1

 左義長は本来新年に行われる中国由来の火祭り行事。三木張・三毬打・三毬杖などとも表記され、地域によって呼び名も異なり、どんと焼き、とんど焼きなどともいう。旧正月を中心に14日夜か15日朝、正月の飾り物などを集めて焼く行事で、1年の無病息災を祈って全国各地で行われているが、近江八幡の左義長まつりは、毎年3月の14日、15日にもっとも近い週末に行われている。

左義長まつりの風景2

 例年、何万人もの人出で盛り上がる近江八幡の左義長まつりだが、現在見られるようににぎやかな祭りの雰囲気となった理由のひとつには、織田信長との関わりがあるとされる。もともと近江八幡の左義長まつりは信長の居城であった安土城の城下で行われていた左義長に由来し、信長自身も毎年派手な出で立ちで踊りに参加していたという。そういった歴史もあり、現在の左義長まつりでも派手な衣装や飾りが好まれる理由のひとつになっているそうだ。
 その後、本能寺の変で信長が倒れ、安土城が廃城になったあと、豊臣秀次が八幡城を築き、天正18年(1586年)、現在の近江八幡の基となる町割りで八幡の町を開町した。その際、安土から八幡の町に移住した人々が中心となって八幡宮に左義長を奉納したのが、この近江八幡の左義長まつりの起源とされている。以来、江戸、明治、大正、昭和、平成と400年以上もの間、途中幾度かの中止がありながらも、これだけの規模の火祭りが今日まで続けられてきた。人々のその熱意と関心がただならぬものだというのがわかるだろう。

左義長まつりの風景3

「十二段祝着」と呼ばれる左義長は、一束ごと新藁を十二段の段上に重ねた本体に、青竹や色鮮やかな短冊型の赤い紙が数千枚も飾り付けられ、お神輿のように担ぎ棒も付けられる。各町単位で住民たちの協力により作られる左義長は、通常完成までに約2ヶ月を要するのだという。13基の左義長が各町から一基ずつ日牟禮八幡宮へ向けて練り歩き、初日の昼すぎには日牟禮八幡宮前に勢ぞろいした。最終的に4~5mほどの高さとなる左義長が町を行く光景は圧巻で、見ているだけで気分も高揚してくる。左義長の正面中心には、「ダシ」と呼ばれるその年の干支や時勢に関係のあるものを地元の特産品や穀物、海産物などでかたどったものが飾り付けられる。
 2日目、「踊り子」と呼ばれる担ぎ手が一升瓶片手に「チョウサ、ヤレヤレ」「チョウヤレ、ヤレヤレ」と調子のいい掛け声を掛けながら市内を自由に練り歩くと、家々の玄関から子どももお年寄りもみなうれしそうに顔をのぞかせる。左義長が市内を巡行している間、日牟禮八幡宮周辺では左義長がやってくるのを待ちわびる人々が、たこやき、甘栗、りんごあめと、立ち並ぶ露店で舌鼓を打っている。

左義長まつりの風景4

 夕方になると、いよいよクライマックス。市内を練り歩いて、すっかり酔っ払って意気揚々となった踊り子たちは、日牟禮八幡宮参道の大鳥居の前で、「マッセ!マッセ!マッセ!マッセ!」(回せ!回せ!の意味)の掛け声とともに左義長を威勢よく回転させる。見物客たちの拍手喝采に包まれた左義長は、堂々と日牟禮八幡宮前へ。
 日も暮れ、続々と各町の左義長が市中から日牟禮八幡宮前に集結してくる。酔っ払った踊り子たちの掛け声と怒号があたりに響きわたり、見ている側もいつの間にか興奮の渦に巻き込まれる。
 踊り子と見物客の気持ちが一体となった午後8時、場内の案内放送とともに「火のぼり」と呼ばれる御幣(ごへい)に奉火されると、左義長は一気に炎に包まれ、大きな火柱が夜空へと舞い上がっていく。あたりからはどよめきにも似た歓声が。最初の5基は同時に奉火、その後一基ずつ順に奉火され、祭りが終了を迎えたのは午後10時を回ってのことだった。
(取材日:平成22年3月)

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