伝統再発見

流星打ち上げ・米原市

流星打ち上げ・米原市

基本情報
名称 流星
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文化財指定等 県選択無形民俗文化財
開催地 平成22年はグリーンパーク山東(米原市池下80番地1)周辺
電話番号 0749-52-0632(米原市商工会)
開催日 平成22年11月3日(水・祝)※次回以降は未定
開催時間 10時~12時
料金 無料
※平成22年11月現在

~大空を駆け上る、戦国ロケット「流星」~

澄んだ秋の空を切り裂くように、流星が上空めがけてまっすぐ飛んでいく

 平成22年11月3日(祝・水)、滋賀県選択無形文化財となっている「流星」の打ち上げが、米原市グリーンパーク山東周辺の田んぼで実施された。今回の打ち上げは、商工会法施行50周年記念事業、2011年NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」放映記念事業として行われたものである。
 流星とは、元来のろしの一種であったと考えられている。先端におよそ2キロの火薬を込めた鉄の管をくくりつけた、総重量15~18キロ、長さ4~5メートルほどの矢羽のついた竹ざおを火薬の力で打ち上げる。点火された流星は200~300メートルくらいの上空まで上がると、先端に仕込まれた矢つりの傘(パラシュート)と5本の小さな日傘が開き、風の中を漂いながらゆっくりと落下してくるのだ。まるで巨大なロケット花火とパラシュート花火を組み合わせたような印象を受ける。ロケットの原型ともいえるため、「戦国ロケット」と呼称されることもある。
 

流星の先端。小さな日傘5本と矢つりの傘、そして火薬の入った鉄管がしっかりとくくりつけられている

 流星は関ケ原の戦いで、西軍の石田三成軍が佐和山城にいる味方へ戦況を伝えるために使用したともいわれており、今日まで旧中山道周辺の集落で伝承されてきた。流星の製造技術は火薬の調合も含め、地元の人たちが先輩や長老から口伝によって学んだものである。江戸時代に入り大きな合戦がなくなると、流星は戦いのためのものから、娯楽のためのものへと変化していったようだ。地元の祭りや大きな建物の完成、霊仙山の山開きなど、祝い事のたびに打ち上げられる縁起物となった。
 しかし次第に火薬の取り扱いや打ち上げ場所などの規制が厳しくなり、流星の製造と打ち上げが困難になっていった。昭和43年(1968年)に県選択無形民俗文化財となり、今では打ち上げを伝承する地区が参加して催されるイベントでのみ、打ち上げられるようになる。今年は2年ぶりの開催で、米原市商工会が主催し、米原市流星保存会が打ち上げを行った。

降ってくる火の粉と煙に打ち勝って、流星を支えるのは非常に勇気がいる役目だ

 今年は10本の流星が用意された。打ち上げ順や、打ち上げを行うグループ名、製作者代表などの名が公表されており、10時からおよそ10分おきに1本ずつ流星が打ち上げられた。打ち上げ前には毎回、風船などで風の向きや強さを確かめ、周囲の安全確認も念入りに行われる。発射台にセットされた流星は、飛び上がっていくまで下から人が手で支えるのだが、支え役が流星から手を離すタイミングが打ち上げの成功にかかわってくる。
 風の強さも流星の成功を大きく左右するが、火薬の調合も重要だ。伝承された集落ごとに使用される火薬の調合が違い、それぞれの流派に分かれている。また先述のとおり、配合について伝える文書等がないため、配合の割合などは手触りなど職人的な感覚に頼る部分が大きい。そのためか、流星の打ち上げの成功確率はそれほど高くない。過去には10本中2本しか成功しなかったこともある。ところが、今年は10本すべて打ち上げに成功。わずかに矢つりの傘が開かなかったものはあったが、「こんなことは初めてだ」と保存会のメンバーから喜びと驚きの声が上がった。

鎌倉時代の元寇で元軍が使用した火薬兵器が、日本でのろしとして使用されるようになったのではないかという説がある

 轟音をあげながら、秋の空をまっすぐ駆け上がる流星。打ち上げが成功するたびに、保存会の人たちは大きな声を挙げて喜び、打ち上げグループや製作者代表をねぎらった。一方、見物客は上空から舞うように降ってくるミニ日傘を拾おうと、田んぼを駆け回っていた。流星の日傘は縁起物として親しまれているが、風に流されて思わぬところまで飛んでいくので、手に入れるのは想像以上に難しい。気ままに流される傘を見上げながら、左右に駆ける人々の姿はどことなくのどかでユーモラスでもある。
 全国には「りゅうせい」と呼ばれる同様のものが米原以外に3つの地域で伝承されているが、中でも米原の流星は最も原初的な形で伝承されており、学術的な価値も高いと言われている。また、おめでたいときに打ち上げる祝いの儀式として、地元に根付いている民俗行事という側面もある。しかしこの流星は、大きな課題に直面している。製造・打ち上げに携わる人たちの高齢化と後継者の育成、そして安全面を考慮した打ち上げ機会の減少だ。後継者の育成については、ひとつ間違えれば非常に危険な火薬を扱うため、むやみに保存会会員を増やすのは問題があるようだ。準備には1カ月半ほどかかり、電灯の下での火薬の取り扱いは引火の危険性があるため日中しか作業を行えず、会社勤めの人では参加するのが厳しいという面もある。打ち上げの機会減少については、規制が年々厳しくなり、打ち上げできる場がどんどん限定されてしまっているからだ。さらに打ち上げ場所が決まっても、流星の規模の縮小、つまり火薬の量を減らさねばならないケースもある。事実、平成22年の流星はこれまでの流星よりかなり火薬の量を減らしている。

風の中を漂う流星と日傘。矢つりの傘がきれいに開くまで、保存会の面々は祈るような気持ちで上空を見つめていた

  米原市流星保存会会長の山下真三さんに、流星の今後と文化継承についてお話を伺った。「流星のような行事は誰かが行っていかないとなくなるんです。保存会では時代にあった形で、流星を守るための努力をしています。花火師の協力を得たり、口伝えだけだった製造技術を記録したりと、安全かつ素晴らしい形で米原の流星をのこす方策を行い、若手の会員にも製造を任せる、伝承の絶えてしまった地域の人たちにも参加してもらうなど後継者の育成も行っています。その上で『定期的に打ち上げを行う』ことが、流星を絶やさないためには重要です。少なくとも毎年打ち上げないと、伝承はうまくいきません。そのための努力をしていきたいと思います」
(取材日:平成22年11月3日)

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