伝統再発見

上丹生木彫(かみにゅうもくちょう)・米原市

上丹生彫刻

基本情報
名称 森彫刻所
URL http://www.morityoukokusyo.com/
文化財指定等 知事指定滋賀県伝統的工芸品
所在地 滋賀県米原市下丹生613
電話番号 0749-54-2995
営業時間 10時~17時
定休日等
料金
※平成25年4月現在


 
 ――〝木彫の里〟で息づく技、森彫刻所 ――
 
 古くから伝わる花鳥、雲水、天人仙人、四君子、七賢人などの紋様を、荒物(社寺彫刻)から小物(仏壇・仏具彫刻)、時代に応じた美術工芸品に至るまで、平面や立体にとらわれることなく自在に彫り、その技術を今に継承する上丹生木彫。米原駅から10㎞ほど東の地、上丹生で脈々と受け継がれてきた伝統の技をたどる―――。
 

 霊仙の麓、丹生川と宗谷川が合流するところに〝木彫の里〟上丹生はある。四方に高い山が迫り、山陰の傾斜地を開拓しての田畑は狭小で、冬の日照時間は3時間ほどだという。農業での生業(なりわい)は厳しく、豊かで良質な木材資源を活かした産業が発展してきた土地だ。

 上丹生が〝木彫の里〟と称される起源は、寛政(1789~1801)にさかのぼる。当時、上丹生に腕の優れた堂大工・上田長次郎がいたそうで、長男・長七には家業を継がせ、次男・勇助には堂大工に欠かすことの出来ない彫刻の技を身に付けさせるべく、14歳のころ同郷の川口七右衛門と共に京での修業を命じたそうだ。口伝によれば、12年の修業の後に先ずは七右衛門が、続いて勇助が文化12年(1815)に帰郷。郷里に戻った勇助は、上丹生成光寺本堂の正面狭間(さま)に「雲水龍と雲龍」、氏神神明神社本殿開き戸に「鞠の紋・桐の紋・菊・唐獅子牡丹の枝折戸」を彫りあげ、精魂込めたその作で周りの目を見張らせたと伝えられており、上丹生彫刻の礎とされている。
 

 上丹生は別名〝仏壇づくりの里〟とも呼ばれる。2代目・勇助(藤助)が安政4年(1857)頃から長浜の浜仏壇の彫りを本格的に手掛けるようになったことに始まり、江戸末期から明治中期にかけての仏壇需要の高まりとともに上丹生での仏壇産業が発展。明治末期には、仏壇作りの七職(木地、宮殿、彫刻、錺(かざり)金具、塗、蒔絵、箔押)といわれる職人が上丹生に集結し、一貫した仏壇生産が行われた。様々な分野の職人が一つの地域に集うのは全国的にも珍しく、加えて、木彫り師や仏壇職人の初代が、京に出て修業するもの、名古屋仏壇の職人に師を仰ぐもの、浜仏壇に従事するものなど、多面に及んでいることも異色であったそうだ。それぞれの技を身につけて上丹生で業をなし、互いに研鑽しあう中で上丹生独特の技と巧みさは醸成されていったといえる。
 
 時代は現代へと移り、戦後の高度経済成長期に入ると、仏壇製造は〝作れば売れる〟という空前のブームが訪れた。一方で、産業にも近代化の波が押し寄せ、次第に仏壇材料に科学素材が使用されたり、安価な海外製品の輸入が盛んになったりと、伝統工芸としての価値は薄まりをみせていく。そのような時代背景において、上丹生の職人たちは独自に培ってきた技術を新しい分野でも活用させようと、手提げカバンなどの袋口につける取っ手「木口」や杉材彫刻の表面を焼いて木目を活かす調度品の考案・作製して一大流行を生むも、往時の勢いは失われ、他の伝統産業と同様に困難な時代へと誘われた。近年において、価値観の多様化に伴いようやく手仕事の魅力や重要性が再認識され、感心が高まるも、依然として後継者問題などは深刻なままである。
 
 森 秀男(1900年~1963年)氏を初代に、二代目・望氏、哲荘氏、 三代目・靖一郎氏、徹雄氏と、親子三代にわたって上丹生木彫の技を受け継ぐ「森彫刻所」に、上丹生の〝今〟を聞いた。


上丹生彫刻とは―――
特徴のないことが特質とでも言いましょうか。上丹生の職人は多方面に何でも熟(こな)します。昔はもっと専業化されていたようですが、私たちの時代の職人は〝これしか出来ない〟ということはありません。(哲荘氏)

 
親子3代の森彫刻所―――
ウチには職人が5人いますので、一人で仕事を受けるには荷が重い大きな仕事でも熟せる体制であることに安心感はあります。ただ、よく「親子で仕事をしていると大変でしょう」と聞かれるのですが、互いに嘘が付けないことが本当に辛いです。〝正直〟を貫くことは時に苦しみを伴いますが、繕えない自分たちですので仕方がないのですが。(靖一郎氏)
 
上丹生での生業―――
とりわけて意にとめているわけではありませんが、私たちの仕事は、上丹生だから成り立つことなのかも知れません。昔から職人が多く、自らが自身の名乗らずとて仕事ができる、とても職人が過ごしやすい環境だと思います。地域の人は優しいし、みんな名字で呼ぶことはあまりなく、下の名前で呼びあう家族みたいな間柄です。(哲荘氏)
 
仕事の魅力―――
〝彫ることが楽しい〟と言える父とは違い、今はまだ、彫っている時に楽しめているかは疑問です。ただ、計算してカタチ作れるものでもないので、ある程度、自分が思い描くカタチになるのは楽しいです。その分、苦悩もあるのですが…。
後、私たちの仕事は段取り八分の世界なので、どうしたら効率よく仕事を回せるのかを考えることも楽しいですし、魅力の一つです。(靖一郎)
 
伝統の継承について―――
社会的な視点から見れば、伝統工芸に携わる私たちはそれなりの役割を担う立場に立たされているのだとは思いますが、自身の事だけ言えば、継がなければならないというプレッシャーは無く、ただ生業としての単純な危機感だけが先立ちます。私が子どもの頃の職人さんにはもう少し忙しい姿がありましたし、周りの職人さんが辞めていかれるのも近くで見てきましたので。(徹雄氏)
 
これから―――
特にヴィジョンがあるわけではありません。ただ、安定して仕事が手に入ること、仕事を気に入っていただいて次にまた声掛けしてもらえることが、私たちの目指すところです。伝統を継ぐこということも、仕事があって初めて成り立つことだと思っています。いくら良い仕事をしても、受注がなければ自己満足で終わってしまうシビアな世界です。今は、目の前の一つ一つを丁寧に拾い、繋げていくことを大切にしています。
 

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