生活再発見

唐崎の松・大津市唐崎

唐崎の松・大津市唐崎

基本情報
名称 唐崎の松
URL
文化財指定等 県指定名勝。近江八景「唐崎の夜雨」。平成22年度近江水の宝選定
所在地 大津市唐崎1-7-1(唐崎神社)
電話番号 077-578-0009(日吉大社)
営業時間
定休日等
料金
※平成22年9月現在

~「唐崎の松」は永遠に~

唐崎の松

「唐崎の松」は、歌川広重(安藤広重)の浮世絵「近江八景之内 唐崎夜雨」にも描かれた県内屈指の景勝地。万葉の時代から和歌や俳句などで幾度となく詠まれてきたところでもある。万葉集には「ささなみの しがのからさき さきくあれど おおみやひとの ふねまちかねつ」という柿本人麿の歌が、古今集には「唐崎の 松は扇の要にて 漕ぎゆく船は 墨絵なりけり」という紀貫之の歌がある。松尾芭蕉の「辛崎の松は花より朧(おぼろ)にて」も有名な一句だ。

唐崎の夜雨の碑

 これほどまでに人々に愛されてきた「唐崎の松」。その由縁は、舒明天皇7年(635年)にまでさかのぼるという【持統天皇11年(697年)という説もある】。そのころ、このあたりに住んだ琴御館宇志丸宿禰(ことのみたちうしまるのすくね)が「からさき」と名付けたとされ、唐崎の松がある唐崎神社の祭神で琴御館宇志丸宿禰の妻、女別當命(わけすきひめのみこと)が初代唐崎の松を植えたとされるが、これは定かではない。

唐崎の松2

 それから千年近くの歳月が流れた天正9年(1581年)、初代「唐崎の松」は大風で枯れてしまったという。唐崎に近い近江坂本に坂本城を築いた明智光秀は、「われならで誰かは植ゑむ、一つ松、心して吹け、志賀のうら風」と、枯れた松を惜しむ歌を残している。二代目の松は、この地が豊臣家の直轄地となり、代官としてやってきた新庄直忠が天正19年(1591年)に植えたといわれている。そのとき直忠は「おのづから 千代も経ぬべし辛崎の まつにひかる るみそぎなりせば」と自分の手で植えた松の長寿を願う歌を詠んだ。ただ、二代目の松を誰が植えたかについても諸説あり、直忠ではなく兄の大津城主新庄駿河守直頼が植えたとする説や明智光秀が植えたという話も残っている。

唐崎神社

 江戸時代には、前述した広重の浮世絵で全国的に有名となり、各地からこの松を見るためにたくさんの観光客が訪れたそうだ。記録では、幹の太さは9m、高さ10m、枝は南北に86m、東西に72mであったというから相当の迫力であったろう。しかし、この大樹となった二代目の松も直忠の願ったように千年は続かず、大正10年に枯死してしまった。現在、三代目となる唐崎の松は二代目の種から育ったもので、樹齢250~300年ほどになる。二代目にはまだかなわないが、それでもその枝ぶりはその名に恥じぬほどに大きく美しい。実は、二代目の分身が遠い金沢の地、兼六園にもある。第13代加賀藩主前田斉泰(なりやす)が二代目の種を取り寄せて植えた松で、その名も「唐崎の松」といい、兼六園内でもっとも知られた名木となっている。
「唐崎の松」を人々は「唐崎の一ツ松」「唐崎の弧松」と呼んで大切に扱ってきた。これからも絶えることなく、きっとそこにあり続けることだろう。
(取材日:平成22年3月)

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