生活再発見

西野水道・長浜市高月町

西野水道・長浜市高月町

基本情報
名称 西野水道
URL
文化財指定等 県指定史跡。平成20年度近江水の宝選定
所在地 長浜市高月町西野地区
電話番号
開館時間
定休日等
料金
※平成23年1月現在

~人々を洪水と飢饉から救うために、難工事を乗り越え完成~

西野水道の風景1

 長浜市内から湖岸道路を北上していくと、湖岸道路は琵琶湖沿いから離れ、トンネルを越えて内陸へと入っていく。気がつけば、車は「湖岸」ではなく、余呉湖から流れてくる余呉川沿いを走っている。よく見ると、余呉川は小高い山に吸い込まれていくように流れている。実はこの余呉川、購ケ岳から延びる西山という山を貫いて琵琶湖に注ぎ込んでいるのだ。

西野水道の風景2

 江戸時代後期の文化4年(1807)、天保3年(1832)、天保七年(1836)と、長浜市高月町西野地区を洪水と飢饉が襲った。このあたりは、余呉湖から流れ出る余呉川が西から南へと流れを大きく変える位置にあり、山に囲まれた低地にあった。そのため、一度大雨が降ると、周辺の山々から雨水、土砂が流れ込み、余呉川は容易にあふれ出したという。西野の田畑はそのたびに水に浸かり、人々は飢饉に悩まされ続けていた。そんななか、充満寺の住職だった恵荘と村人たちは、水害から西野の人々の命と財産を守るために、山をくり貫いて余呉川の水を琵琶湖に流し出す排水路を造ることを決意する。こうして「西野水道」の工事は、天保11年(1840年)7月29日に着工された。工事は、能登と伊勢の石工たちによる、ノミや鍬、カナテコなどを使った手作業で行われ、村人たちも石を運び出す作業などに従事した。だが、当時の技術で厚い岩盤を掘り抜く作業は、当初から困難を極めたのだそうだ。
 弘化2年(1845年)の9月1日、着工から5年あまりの歳月をかけ、難工事の末、高さ1.5~3m、幅1~1.5m、全長約220mの「西野水道」がついに完成する。その総費用は1275両、現在の価値にしておよそ5億円にものぼり、すべて村人たちによってまかなわれたという。

西野水道の風景3

 現在、「西野水道」は時代とともに改良され、1980年に完成した3代目のものが余呉川の水を琵琶湖に排水している。その隣には1950年に造られた全長245mの「西野隧道」と記された2代目のものがある。こちらは人が歩いて琵琶湖側へ行けるようになっているが、電灯がないために日暮れ以降に琵琶湖側から戻ってくるのは危険を伴う。江戸時代に作られた初代の「西野水道」が、その脇にひっそりとたたずんでいる。
 ときに「近江の青の洞門」とも呼ばれる「西野水道」は、江戸時代に民間主導で行われた治水事業として再評価されつつあり、平成20年、滋賀県による「近江水の宝」に選定された。また、この偉業を記念する「西野水道まつり」が、毎年6月の第1日曜日に周辺住民らによって開催されている。
(取材日:平成22年4月)

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