比叡山延暦寺・大津市坂本
比叡山延暦寺・大津市坂本
名称 | 比叡山延暦寺 |
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URL | http://www.hieizan.or.jp/ |
文化財指定等 | 【国宝】根本中堂、天台法華宗年分縁起、伝教大師将来目録等 【重要文化財】根本中堂廻廊、大講堂、瑠璃堂、絹本著色天台大師像、紙本著色山王霊験記、木造釈迦如来立像、木造聖観音立像等 |
所在地 | 大津市坂本本町4220 |
電話番号 | 077-578-0001 |
拝観時間 | 東塔(3月~11月)8:30~16:30(12月)9:00~16:00(1月~2月)9:00~16:30西塔・横川(3月~11月)9:00~16:00(12月)9:30~15:30(1月~2月)9:30~16:00いずれも受付は閉堂の30分前まで。 冬季期間は積雪等のため、閉堂時間が早まることがあります。 |
定休日等 | 無休(法要・行事などによって入場できない場合があります) |
拝観料 | 550円 | ※平成24年3月現在 |
~1200年間消えることなく灯り続ける「不滅の法灯」と根本中堂~

滋賀と京都にまたがる比叡山は大山咋神(おおやまくいのかみ)が鎮座する山として、山王信仰が広まった土地だ。そこに伝教大師最澄が788年(延暦7年)、自らが彫った薬師如来を本尊とする一乗止観院(いちじょうしかんいん)を創建。それが現在の根本中堂で、「教えの根本であり、中心の場所」という意味があるという。東塔、西塔、横川の三塔からなる延暦寺の総本堂であり、国宝に指定されている。
根本中堂と言えば1200年間消えることなく灯り続ける「不滅の法灯」をご存知の人が多いだろう。一乗止観院を建てた時に最澄は、「明らけく後の仏のみ代までも光伝えよ法のともしび」と歌を詠んだ。延暦寺総務部の武円超さんは、「未来永劫、この素晴らしい教えがずっと続きますようにという意味を詠まれました。
灯火は当番を決めずに、寺の僧侶みんなが絶えず気をつけて見守っています。」と話す。織田信長の比叡山焼き討ちの際には、再建後不滅の法灯を分灯していた山形県立石寺から戻してもらい、現在も本尊の前で灯り続けている。
焼失した根本中堂は、徳川家光の命によって9年間という年月をかけて再建される。けやき造りで、柱や天井にある各地の花の絵は多くの人の寄進によるもの。回廊は重要文化財で、中庭の竹台には山王の神や日本全国の神々が祀られている。寺院の中に神を祀るとは不思議だが、元々比叡山は神の山であったため延暦寺内でお祀りするそうだ。

根本中堂に座って参拝する時は、目線の先に注目してほしい。延暦寺では本尊と参拝者が同じ目の高さになるようになっているのだ。これは天台宗の「一乗の教え」によるのだとか。「天台宗が最も重きを置いている「法華経」の教えに、『すべての者が仏になれる』という教えがあります。誰もが一つの車に乗っている、つまり仏になれるというもので、それを体感するために仏様と同じ目線になるように造られているのです」と武さんに教えていただいた。本尊が安置される内陣は、参拝者が祈りを捧げる中陣よりも床が低くなっている。根本中堂だけでなく釈迦堂や横川中堂も同じ造り方で、これを天台様式と言うそうだ。

比叡山延暦寺には、最澄が遣唐使として唐から持ち帰った「七条刺納袈裟・刺納衣」や経典の自筆目録の「伝教大師将来目録」といった国宝や天台大師像、釈迦如来像などの重要文化財が数多くある。それらは国宝殿に保管され、一部は一般に公開されている。
「国宝殿」の名称は、伝教大師最澄が著した「山家学生式」の中の「一隅を照らす。これ即ち国宝なり」という言葉に由来するという。最澄の自筆による「天台法華宗年分縁起」(国宝)に記されている。平安時代は、僧侶になるのに国家資格が必要だった。各宗派で僧侶は何人と定員が決まっていた。「天台法華宗年分縁起」は、当時新興宗派だった天台宗が朝廷に僧侶を認めてもらうよう申請した文書で、天台法華宗の学生が守るべき項目をまとめたものである。「一隅を照らす」や「忘己利他」などが書かれている。

比叡山延暦寺は、山全体が聖域だと言っていい。「延暦寺」という名前の堂宇があるわけではないのだ。山内は東塔、西塔、横川(よかわ)という3つのエリアに分けられ、全体で約150もの堂塔が存在する。
東塔には根本中堂の他、僧侶が法華経の講義を学ぶ大講堂(重要文化財)や阿弥陀堂、大黒堂、文殊楼などがある。一方、西塔・横川は修行の場である。西塔には釈迦堂やにない堂、瑠璃堂(重要文化財)などがあり、美しい杉木立の中から読経の声が聞こえる。静かな中にも厳か雰囲気が感じられる場所だ。一般の人が修行体験できる居士林研修道場があるので、修行僧の気分を体験するのもいいだろう。
横川は慈覚大師円仁によって開かれた。源信(恵心僧都)、親鸞(浄土真宗の開祖)、道元(曹洞宗の開祖)などの名僧が修行し、ここから羽ばたいていったという。比叡山延暦寺は他にも浄土宗を開いた法然や法華経信仰の日蓮、臨済宗の栄西禅師など日本仏教界に貢献した祖師を育んだことから、「日本仏教の母山」と呼ばれている。

比叡山延暦寺までは車で比叡山ドライブウェイを行く方法と、大津市坂本から坂本ケーブルで行く方法がある。坂本ケーブルは昭和2年に開業した、日本で一番長いケーブルカーだ。山頂まで11分で着くが、車窓からは琵琶湖が一望でき、眼下には比叡山の深い谷を見降ろすことができる。
武さんは、「比叡山延暦寺は、京都平安京から見ると東北の鬼門の方角に当たり、都を守る鎮護国家の寺として、平安時代から1200年経った現在も日々深い祈りを捧げています。ご参拝いただく方には、『一隅を照らす』という言葉を知って欲しいですね。これは「自分のできることを一生懸命にする」という意味です。それが周囲を照らすことになり、ひいては大きな光になるのです」と話された、そのことこそが比叡山延暦寺に受け継がれる文化であろう。今も延暦寺では根本中堂の不滅の法灯が、世界を照らし続けている。