歴史再発見

青岸寺庭園・米原市

青岸寺庭園・米原市

基本情報
名称 青岸寺庭園
URL http://www.seiganji.org/(財団法人青岸寺庭園保存会HP)
文化財指定等 国指定名勝庭園
所在地 滋賀県米原市米原669
電話番号 0749-52-0463
開園時間 9:00~17:00
定休日等 火曜日
料金 大人300円、小・中学生100円、小学生未満は無料
※平成24年4月現在

~雨上がりの後に見えるもう一つの庭園~

国の名勝庭園に指定されている青岸寺庭園

 滋賀県米原市にある曹洞宗の寺院、吸湖山青岸寺。JR米原駅から徒歩で5~10分ほど、太尾山麓に位置する。もとは不動山米泉寺といい、南北朝の初め、京極道誉によって創建された。江戸時代、彦根藩士であった香取氏に作庭させた庭園は、現在国の名勝指定を受けている。

奥に見えるのが三尊石、手前には切石の反橋

 南北朝時代初めの延文年間(1356~1361)、近江源氏佐々木氏の中でも婆娑羅大名として知られた佐々木京極道誉が自ら書写した法華経八巻を納めて米泉寺を建てた。その後、永正年間の初めの戦火により寺院のほとんどを焼失したが、本尊の聖観音像のみが難を逃れ、長い間、小堂にて祀られることになった。この本尊は南北朝時代に佐々木六角氏頼が造立したもので、秘仏とされており、その胎内には、氏頼の持念仏であった高さ20cmほどの観音像が納められている。「お腹籠の観音」あるいは「旗竿の観音」と呼ばれる。氏頼はこの観音像を必ず旗竿に祀って、出陣したと伝わる。
 現在の青岸寺は、江戸時代に入った慶安3年(1650)、彦根大雲寺3世要津主守三和尚によって再興された。その際、伊藤五郎助という人物が尽力し、五郎助の働きにより、殿堂、伽藍はたちまち建てられるのだが、明暦2年(1656)に亡くなったので、守三和尚はこれを悼んで彼の諡(おくりな)である青岸宗天をもって『青岸寺』に寺名を改め、ここに米泉寺が焼失してから150年余りを経て寺院が再興された。
 本堂裏手にあり、うっそうと茂る裏山を背景に、山腹を利用して築かれているのが昭和9年(1934)、国の名勝庭園に指定された青岸寺庭園である。

杉苔で表された枯池。雨の後は水が染み出してきて本当の池のようになるという。

 守三和尚の入山とともに造られた。彦根城内の楽々園を造築するために石が取り出されて消滅したが、3代目住職・興欣和尚が楽々園や玄宮園を造った井伊家の家臣香取氏に依頼して延宝6年(1678)に再築された。多くの石組みを配し、奥の高所に三尊石を兼ねた二段構えの枯滝石組を組んでおり、他にも和洋折衷の寄せ灯籠や降り井戸形式の蹲などの見どころは多い。この庭園は観音様のお住まいになる捕陀落山の世界を表現したものだといい、興欣和尚によって書かれた『築園記』から作庭の意図を知ることができる。

 池の中央にある蓬莱島には切石の反橋が架けられ、池畔に無数の岩とサツキやツツジの刈り込みを配した、築山林泉式枯山水。庭園で石や砂を用いるところを青岸寺庭園では杉苔の緑を用いて、水の流れを表現している。この枯池には雨が降り、その染み込んだ水が伏流水のように湧いて出て本当の池へと姿を変える。そのため雨上がりは格別美しい世界が現れる。

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