歴史再発見

旧秀隣寺庭園・高島市朽木

旧秀隣寺庭園・高島市朽木

基本情報
名称 旧秀隣寺庭園
URL http://www.koushoji.jp/
文化財指定等 国指定名勝庭園 【重要文化財】本尊釈迦如来坐像
所在地 興聖寺 滋賀県高島市朽木岩瀬374
電話番号 0740-38-2103
拝観時間 9:00~17:00
定休日等
拝観料 300円
※平成24年4月現在

~将軍に贈られた武家庭園~

国の名勝庭園に指定されている旧秀隣寺庭園。安曇川と対岸の山々を借景とする。

  安曇川上流に位置する高厳山興聖寺は鎌倉時代、宋から帰国した曹洞宗の開祖道元が近江守護佐々木信綱に建立を勧めたのが始まりといわれる寺院。林のように木々が茂っている中に寺が立っており、境内からは安曇川やその対岸に見える山々などの雄大な景色を眺めることができる。本殿のほか、庫裏や鐘楼などが並び、国の重要文化財に指定されている本尊の木造釈迦如来坐像は、平安時代後期の定朝一派の名作と伝えられている。敷地内には、国の名勝庭園に指定されている旧秀隣寺庭園があり、毎年春には樹齢500年近い老椿が咲き誇る。

興聖寺本堂。本堂内には本尊釈迦如来坐像が奉られている。

 朽木は近江守護の佐々木一族(朽木氏)に代々治められてきた場所である。興聖寺の開基となる宇多天皇の直系の佐々木信綱、その曾孫にあたる義綱より氏を『朽木』と改め、明治時代になり廃藩置県が行われるまで統治していた。
 その朽木の地に興聖寺が建立されるのが鎌倉時代。嘉禎3年(1237)、近江守護佐々木信綱が宋から京都に帰洛していた曹洞宗開祖・道元禅師に、承久の乱で戦死した一族の供養を願い出た。朽木の里を訪れた禅師は付近の山野の風景が伏見深草の興聖寺に似て絶景だと喜び、山号を高巌山興聖寺とする一寺の創建を奨めた。3年がたち仁治元年(1240)には七堂伽藍が完成し、遷仏式には永平二世・孤雲懐奘禅師を迎え盛大に行われた。それ以来、興聖寺は曹洞宗第三の古道場といわれてきた。

樹齢500年近くの藪椿。見頃は4月中旬から5月上旬にかけて。千利休が訪れた際、一期一会の心を表す花だと賞賛したという。

 その後、寛元元年(1243)に懐奘禅師が再び寄り教化して以来、永平寺の直末とし慶長3年(1598)まで格別兼務地となる。永平十九世龍眠柞球禅師が当山に隠栖してからは、独住世代として三十六ヶ寺の末寺を有し、近江八十八ヶ寺の総禄所の地位を保ってきた。
 興聖寺はもともと現在の位置とは安曇川を挟んで反対側の上柏村指月谷にあったが、江戸時代に大火に遭い、朽木氏ゆかりの秀隣寺のあった現在地に移ってきたという。秀隣寺は、朽木宣綱が、慶長11年(1606)に正室の菩提を弔うために、かつての岩神館のあった地に建立した寺院で、後に現在の朽木野尻へ移っている。 
 安曇川が形成した段丘の縁にある旧秀隣寺庭園。安曇川の清流とその背後に横たわる蛇谷ヶ峰を借景としている。足利庭園ともよばれるこの庭園は戦国時代に、戦火を逃れてきた12代将軍足利義晴を慰めるために贈られたものだと伝わる。享禄元年(1528年)の秋、足利義晴は京都の兵乱を避け、朽木稙綱を頼ってこの地に約3年間滞在する。その際に、佐々木一族京極高秀や浅井亮政、朝倉孝景等の協力で管領細川高国が京都銀閣寺の庭園を元に作庭した。 

足利将軍をはじめ、多くの人々が心を休めてきたのだろうか。

 池泉鑑賞式の庭園で、左手の築山に組まれた「鼓の滝」から流れ出た水は池に注がれる。曲水で造り上げた池泉には2つ石組みの亀島と鶴島を浮かべ、中央付近には楠の化石の石橋が対岸の出島に架けられている。全国屈指の武家の庭としても知られる。
また、関西花の寺25ヵ所霊場の「第14番札所」であり、境内には石楠花、沈丁花、山茶花、木蓮、沙羅の木などの花を見ることができる。庭園の庭木としてある樹齢500年近い藪椿(老椿)の花が落ち、水面に浮かぶ様などは大層趣深いものである。

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