歴史再発見

狛坂磨崖仏・栗東市荒張

狛坂磨崖仏・栗東市荒張

基本情報
名称 狛坂磨崖仏(こまさかまがいぶつ)
URL
文化財指定等 国指定史跡。
所在地 栗東市荒張地先
電話番号
営業時間
定休日等
料金
※平成22年9月現在

  ~国内屈指の美しさを誇る磨崖仏の謎~

県内最古といわれる磨崖仏。しっかりと輪郭の残る磨崖仏のなかでは国内でも最古級のものといわれる。狛坂磨崖仏は国の史跡に指定されている

 日本国内で仏像というと、まず木彫りの仏像や青銅製の仏像を思い出すことだろう。だが、ここ近江の国には古代に作られた数多くの石仏が残っている。そのなかでも、栗東市の南部に位置する金勝山(こんぜやま)には、大きな岩に彫られた狛坂磨崖仏と呼ばれる石仏がある。滋賀県内で見られる石仏のなかでもっとも古いものとされ、全国的にみても完全な姿を残す磨崖仏としては最古級のものと考えられている。その特徴から朝鮮半島から渡ってきた渡来系の人々の手によるものと見られているが、はっきりしたことはわかっていない。謎に包まれた狛坂磨崖仏の顔の表情は穏やかで、その繊細かつ優美な姿が観る者の目を釘付けにする。

木々の合間から顔を覗かせる磨崖仏。古代朝鮮の新羅の都、慶州にある「南山七佛庵磨崖石佛」に作風に近いという

 古来、修験者たちが集まる山岳信仰の山だった金勝山(こんぜやま)。花崗岩が風化してできた数多くの奇岩が顔を覗かせるこの山は、まさに信仰の山というにふさわしい特徴的な景観を形づくっている。奈良時代には南都六宗系(奈良仏教)の金勝寺(こんしょうじ)が創建され、以後、中世の終わりごろまで湖南地域の仏教の一大拠点として栄えていた霊山だった。
 この金勝寺から西へ、山麓の大津市桐生方面へ向かう尾根道をゆくと、山中に突如として大きな岩に彫られた石仏が現れる。県内では最古ともいわれ、その美しさでは国内屈指の磨崖仏とされる「狛坂磨崖仏」だ。傾きのある高さ約6m、幅約4.5mの巨石の表面に、両脇に観音菩薩、勢至菩薩を従えた高さ約3mの阿弥陀如来坐像の姿がくっきりと浮かぶ。その周囲には9体の小さな坐像、立像が見受けられ、さらにこの巨石に向かって左下には蓮華坐の三尊像もあり、全部で15体もの仏像が刻まれている。中尊の阿弥陀如来像は右肩を露にして法衣をまとい、堂々として迫力のある姿が印象的だ。はっきりとした目鼻立ちに肩を張ったどっしりとした作風から、統一新羅の彫刻の影響を受けたものと見られている。この磨崖仏が彫られた時代については、はっきりとしたことはわかっていない。ただ、磨崖仏が明治時代に廃寺となった狛坂寺の境内にあったことから、同寺との関係性に注目してみるのも面白いだろう。

磨崖仏は硬い花崗岩の巨石に刻まれている。花崗岩の細工は渡来系の人々の得意技だった

 嵯峨天皇の弘仁年間(810~823年)、蒲生郡狛長者の娘によって壇林皇后に献上された金銅の観音像を、嵯峨天皇は奈良・興福寺の名僧、願安に下賜した。この観音像を願安は初め金勝寺に安置したが、金勝寺を中心とする金勝山は女人結界(禁制)の山だったため、金勝寺の西方の山中に女人たちも詣でることができる別院、狛坂寺を建立し、ここに観音像を安置したといわれる。狛坂寺は平安時代から中世にかけておおいに栄えたが、文保2年(1318年)と永世12年(1515年)に焼失し、寺勢は一時衰えた。江戸時代の天保9年(1838年)に本堂や坊舎が再興され、再び参拝客らで賑わったという。しかし明治維新以後、廃寺となる。

狛坂寺、金勝寺周辺の尾根道には、いくつもの石仏が見られる。これは鎌倉時代に作られたとみられる「茶沸観音」。蓮華座上に立つ如来立像で、その名の由来はここで参詣者に茶のもてなしが行われていたからという

 狛坂寺の開基が平安時代の初めという話は、同じく願安によって同時期に伽藍が整備された金勝寺にある「狛坂寺縁起」に由来する。だが、近年の発掘調査で白鳳期(645~710年)の瓦が発見されたため、創建はさらにさかのぼるものとみる見方が有力となってきた。実際、金勝寺の創建自体が奈良時代に聖武天皇の勅願を受けた高僧、良弁によるものとされるため、狛坂寺のあった場所に平安期以前に堂宇が建てられていたとしてもおかしくはないだろう。となると、磨崖仏は統一新羅の仏像彫刻の影響が見られることから、平安期以前に作られたと考えられる。

重ね岩といわれる奇岩。この岩にも石仏が彫られている

 では、だれが作ったのか? 当時、近江の各地には朝鮮半島からやってきた、いわゆる渡来系の人々が多かった。彼らは、石棺作りや石塔(例えば東近江市にある石塔寺の石塔など)など、石を細工する技術に長けていた。しかも「狛坂」という地名の「狛」とは、古代朝鮮の国家「高句麗・高麗」といった言葉に被り、実際に渡来系氏族として「狛」氏あるいは「高麗」(コマと発音する)氏が日本に住み着いていたことを考え合わせると、狛坂磨崖仏が渡来系の人々によって作られたものといえるのではないだろうか。
誰がいつ、何を思いながらこの狛坂磨崖仏を作ったのか…。断片的な情報をもとにさまざまな憶測を試みれば、通り一遍の歴史とは違う“歴史のロマン”というものが感じられてくる。奥深い山中で、人知れず美しい表情をたたえる狛坂磨崖仏。その由来の謎がいつの日か解き明かされる日がやって来るのだろうか。
(取材日:平成22年6月)

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