歴史再発見

金剛輪寺本堂・愛知郡愛荘町

金剛輪寺本堂・愛知郡愛荘町

基本情報
名称 金剛輪寺本堂
URL http://kongourinji.jp/index.html
文化財指定等 本堂大悲閣は国宝、三重塔、二天門、木造阿弥陀如来坐像(2体)、木造十一面観音立像、木造不動明王立像、木造毘沙門天立像、木造慈恵大師坐像(2体)、木造四天王像、銅磬は国指定重要文化財。明寿院庭園は国指定名勝
所在地 愛知郡愛荘町松尾寺874
電話番号 0749-37-3211
拝観時間 8時30分~17時
定休日等 無休
料金 大人500円※大人30人以上で450円
※平成23年2月現在

~鎌倉時代と中世天台仏堂を代表する 和様建造物~

織田信長の焼き討ちによる焼失の難を逃れた本堂は、歴史の重みを感じさせてくれる。

 鈴鹿山脈の西山腹に位置する金剛輪寺。湖東三山のひとつで、奈良時代中頃の天平13年(741年)に聖武天皇の勅願で行基によって開山された天台宗の古刹。秘仏本尊聖観世音菩薩は行基作とされる。行基が、仏像を彫刻する時、一刀を下すごとに三度礼拝する「一刀三礼」をしながら彫ったところ、木肌から一筋の生血が流れ落ちた。行基は「観音様に魂が宿った」と粗彫りのまま本尊としてお祀りしたという説がある。この伝説から、「生身(なまみ)の観音」と呼ばれるようになり、全国から篤い信仰を集めているという。 その後、平安時代の初め嘉承年間(848-851年)には、比叡山より天台宗の高僧・慈覚大師円仁が来山。天台密教の道場としたことから、延暦寺の末寺、天台宗の大寺院となった。

「大悲閣」とは、観世音菩薩像を安置した仏堂のことだ。

 山門をくぐって石段を上ること300メートル、参堂の両側に並ぶ千体地蔵の間を通り抜けて、二天門をくぐると大きく開けた場所に出る。左手奥に三重の塔、右手に鐘楼、正面には国宝に指定された本堂「大悲閣」がその姿を見せてくれる。山の中に本堂が建立されているのは、山岳城郭であったころの名残である。本堂は鎌倉時代の建物で、時の近江守護職・佐々木頼綱より多額の寄進を得て建立されたのだという。
 当時、元が日本に攻め込む「元寇の役」が勃発。北条時宗が佐々木頼綱に命じて元軍降伏の祈願をしたのが、ここ金剛輪寺であるとされ、寄進は元寇の役の戦勝を記念としたものだという。内陣にある須弥壇の蓮華唐草の飾金具のひとつには、弘安11年(1288年)1月建立の銘が残されている。
 天正元年(1573年)に起こった織田信長の兵火により、同じ湖東三山のひとつである百済寺は全焼。しかし、金剛輪寺の本堂や三重塔は焼失を免れた。寺僧の機智のおかげだとされるが、総門と本堂が300メートルも離れているために、見落とされて焼き討ちをまぬがれという説もある。

三重塔の高さは22.15m、一辺は4.6m。

 焼失を免れた本堂は、鎌倉時代を代表する和様建造物としてだけでなく、中世天台仏堂の代表作ともされ、国宝に指定された。東京オリンピックの際には、世界に誇れる日本の建造物のひとつであると、当時の文部省が十分の一の精巧な模型を作成して上野の博物館に展示したほどである。
 本堂「大悲閣」は正方形に近い入母屋造、檜皮葺の和様仏堂。内部は外陣・内陣・後陣の三区画に分かれた密教本堂の特徴を持っている。内陣の須弥壇には、前面に鎌倉時代特有の剣巴金具をはめ、本堂を再興した佐々木氏の紋所を置き、格狭間には唐獅子が浮き彫りにされている堂々とした風情である。
 堂内には秘仏の本尊「聖観世音菩薩」が安置され、その本尊を安置している厨子も本堂の「附(つけたり)」として国宝に指定されている。堂内にはさらに、阿弥陀如来坐像、十一面観音立像など平安から鎌倉時代の仏像も安置されており、その多くが重要文化財に指定されている。

本堂付近の紅葉は、血のような赤に色づくので「血染めの紅葉」と呼ばれている。(画像提供:金剛輪寺)

 また、三重塔と二天門も国指定の重要文化財。三重塔は「待龍塔」とも呼ばれ、古文書には寛元4年(1246年)4月9日の記がある。これは本堂の建立よりも40年ほど古い日付である。三重塔は、荒廃により昭和53年(1978年)に復元工事が完了。また。本堂前にある二天門は、室町時代の建立。当初は「八脚門」と呼ばれる楼門であったが、江戸時代中頃に二階部分が取り壊されて、現在の一重の形になったと伝わる。
 金剛輪寺の濱中光礼住職は、金剛輪寺はやはりお参りをする場であるとし、「なんらかの想いを持って、大切にお参りしていただきたい。参拝される方の想いを大切にしています」と話す。訪れた人々が、境内や庭園でゆっくり過ごし、参拝できるようにと環境作りや整備には力を入れているとも話した。

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