歴史再発見

玄宮楽々園・彦根市金亀町

玄宮楽々園・彦根市金亀町

基本情報
名称 玄宮楽々園
URL http://www.city.hikone.shiga.jp/hikonejo/index.html
文化財指定等 国指定名勝
所在地 彦根市金亀町1
電話番号 0749-22-2742(彦根城管理事務所)
開園時間 8時30分~17時
定休日等 無休
料金 大人600円、小中学生200円(彦根城と共通)
鳳翔台の抹茶500円(9時~16時)
※平成22年10月現在

~当時の人々を驚かせた、彦根藩主の別宅と大名庭園~

庭園の景色は、湖南省洞庭湖(こなんしょうどうていこ)の「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)」にちなんで選ばれた「近江八景」を模したという説もある。

庭園の景色は、湖南省洞庭湖(こなんしょうどうていこ)の「瀟湘八景(しょうしょうはっけい)」にちなんで選ばれた「近江八景」を模したという説もある。

 玄宮楽々園は井伊家中興の祖、4代・井伊直興により建立された彦根藩の下屋敷で、江戸時代には「槻御殿(けやきごてん)」や「黒御門外御屋敷」などと呼ばれていた。現在では庭園部分を「玄宮園」、建物部分を「楽々園」と分け、あわせて「玄宮楽々園」と称している。

玄宮園から見える彦根城も趣があり、素晴らしい眺めだ。

玄宮園から見える彦根城も趣があり、素晴らしい眺めだ。

 槻御殿の造営は延宝5年(1677年)から始まり、同7年(1679年)に完成したと伝えられる彦根藩国許の下屋敷である。一般的な下屋敷には大規模な庭園があわせて造営され、別邸としての役割が大きかったようだ。槻御殿もそれらと同様に、大きな「玄宮園」を有している。楽々園は完成してからも数回の増改築が行われ、11代・直中の退隠のころには能舞台を備えるなど最大規模となるが、現在は書院や「地震の間」「雷の間」「楽々の間」など一部が残されている。
「地震の間」という名は、耐震構造の建物だったために付けられた名称で、本来は茶の湯に用いられた茶座敷であった。ただし現在の一般的な耐震構造建築とは違い、柱が土台に固定されておらず、当時の技術で「地震の揺れを考慮した」建物である。地震の間のさらに奥に増築された楽々の間は、地震の間と同様の数寄屋建築で、12代・直亮により建てられた。楽々園の名の由来になった建物で、煎茶の茶室として近年注目されている。この楽々園は、明治14年(1881年)から平成6年(1994年)にかけて民間業者が旅館を営業していたが、旅館の廃業により建物等が市に返還されている。なお現在は歴史的建造物の保存修理事業を実施中である。

鳳翔台は、「鳳凰が大空に向かって飛び立つ場所」という意味で名づけられたと伝えられる。賓客をもてなすために建てられ、現在は入園者の休息所となっている。

鳳翔台は、「鳳凰が大空に向かって飛び立つ場所」という意味で名づけられたと伝えられる。賓客をもてなすために建てられ、現在は入園者の休息所となっている。

  庭園の玄宮園の名は、中国の宮殿に付属した庭園を「玄宮」と呼んだのにちなんだものと思われる。別の説では、中国湖南省の洞庭湖にある玄宗皇帝の離宮を参考にしたからとも。大きな池を中心にした池泉回遊式庭園で、大小の中の島や入り江には合計9つもの橋が架かっている。池周囲の小高くなった部分に石畳がひかれており、上下する石畳の上から見える風景が場所ごとに大きく変化するのが特徴だ。
 江戸時代に描かれた「玄宮園図」には「臨池閣(りんちかく)」「鳳翔台(ほうしょうだい)」「魚躍沼(ぎょやくしょう)」「龍臥橋(りゅうがばし)」「鶴鳴渚(かくめいなぎさ)」「春風埒(しゅんぷうれつ)」「観月峯(かんげっぽう)」「薩た林(さったりん)」「飛梁渓(ひりょうけい)」「涵虚亭(かんきょてい)」の十景が付箋によって示されており、これを当時は「玄宮園十勝」と呼んでいた。池の水は外堀から引き込んでいるが、木管を地下に埋めて導水するという方法である。その池には船小屋があり、園内で舟遊びを催すこともあったという。園内の松原内湖に面した所に水門もあったようで、もう一つの下屋敷である「お浜御殿」や菩提寺である清涼寺、龍潭寺へ出向く際は御座船(遊行用の豪華な船)で出かけたようである。なお玄宮園図には現在の玄宮園南にある駐車場部分に、大きな梅林が描かれているが現在は残っていない。

幕末の大老・井伊直弼は、文化12年(1815年)10月29日にこの楽々園で生誕した。

幕末の大老・井伊直弼は、文化12年(1815年)10月29日にこの楽々園で生誕した。

 彦根市教育委員会文化財課では、玄宮園図に合わせてさまざまな調査と修復を行っている。当時の状況と比べて痛んでしまった護岸の修復工事などを実施しており、また彦根城についても同様に調査と修復を行っている。歴史的な裏づけのもと、本来の形に戻すことを目的にしており、玄宮園図等の絵図や文献資料、発掘調査成果がそのための重要な資料となるのだ。
 文化財課の三尾さんは「玄宮楽々園も彦根城も、単なる景観の美しさだけでなく、歴史的背景を考えた補修や継続的な管理が求められます。『歴史的遺産を守る』という行為は、実は長い長い年月をかけた準備や調査が必要なんです。ですので、今すぐに劇的な結果が出るようなものではありません。多くの人たちの力によって、少しずつゆっくりと形になっていくんです」と語ってくださった。
(取材日:平成22年10月8日)

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