歴史再発見

旧豊郷小学校・犬上郡豊郷町

旧豊郷小学校・犬上郡豊郷町

基本情報
名称 旧豊郷小学校
URL http://www.toyosato-elschool.net/
文化財指定等
所在地 犬上郡豊郷町石畑518
電話番号 0749-35-3737(豊郷町観光協会案内所)
開場日 年末年始などを除く毎日
(※臨時休業もありますので、案内所にご確認ください)
開場時間 平日: 8時~17時30分、土・日・祝:9時~17時30分
料金
※平成22年11月現在

~解体を免れて甦った「東洋一の小学校」~

豊郷町民たちの憩いの場でもある旧豊郷小学校校舎。戦時中は、ボイラー設備や暖房設備その他もろもろの備品も物資不足のため供出の憂き目を見、校舎は空襲を避けるために黒く塗装されていたという

 豊郷小学校の名がマスコミに登場し、全国にその名を轟かせたのは記憶に新しい。
 平成11年(1999年)、施設の老朽化と耐震に問題があるとして町長と議会が旧豊郷小学校校舎の解体を決定。これ以降、反発した住民らが「東洋一の小学校」と謳われた校舎の保存を求めて町長をリコール、その結末は裁判騒動にまで発展した。混乱の末に保存が決定され、再活用のための改修を経たいま、旧豊郷小学校校舎は町のシンボルとして新しい役目を担い、ひときわ存在感のある姿を見せている。
 シンプルなデザインの外観ながら、どっしりとした貫禄のあるたたずまい。旧豊郷小学校校舎は、昭和初期に見られるコンクリートを使用した近代建築特有の重厚な趣をいまに伝える。

イソップ童話の「兎と亀の話」をモチーフにした真鍮製の飾り。2階、3階へ上がるにつれて童話の内容のように兎と亀の順序や形が変わる。小学生たちはこの階段を上り下りする間に自然と教訓を学んだことだろう。戦時中は、金属供出に出されてなかったが、戦後、篤志家の厚意により復活した

 当時としては珍しい鉄筋コンクリート造の旧豊郷小学校校舎は、昭和12(1937)年5月に落成。この頃は、全国的に重要な建築物には鉄筋コンクリート造が採用され始めた時期で、大正12年(1923年)の関東大震災以降、耐震、耐火を考慮した建築工法として注目されるようになっていた。それでも、まだ木造校舎が当たり前だった時代。鉄筋コンクリート造の小学校校舎というのは全国的に見ても非常に稀だった。昭和12年といえば、日中戦争が始まった年でもある。これ以降、日本は戦争のために物資や人手が必要となり、建築資材も建築の精度もそれ以前より劣ったものとなっていく。そうした背景から考えると、旧豊郷小学校校舎は戦前の鉄筋コンクリート建築の最高水準の技術と資材で建てられたものといえるだろう。その証拠として、そのころ近江八幡に拠点を置きながら、滋賀県はもとより全国に数々の名建築を生み出していたアメリカ人建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計し、コンクリートに用いた砂利や砂も周辺の川から採取した塩分を一切含まないものだった。当時、「東洋一の小学校」とまで謳われた小学校がこの町に誕生した背景には、豊郷の人々の教育に対する並々ならぬ熱意と努力があった。その歴史をたどるとさまざまな人間模様が見えてくる。

かつての理科室に残されていた試験管。直線で100mがとれるほどの広さを誇った運動場と現豊郷小学校校舎が窓越しに見える

 豊郷小学校の歴史は、明治6年(1873年)に豊郷村四十九院の唯念寺に設けられた成文学校に始まる。明治19年(1886年)に尋常科至熟(しじゅく)小学校となり、明治25年(1892)年に豊郷尋常小学校、明治41(1908)年には豊郷尋常高等小学校へと改称。戦後の昭和22(1947)年に、新しい学校教育法に則った現在の豊郷町立豊郷小学校が誕生した。
 現在、保存改修が施され、複合施設として活用されている旧校舎群は、小学校の現在地への移転とともに建てられたもの。約1万2000坪の敷地の取得費用から校舎建設の費用のすべては、のちに日本を代表する総合商社のひとつとなった丸紅株式会社の前身、丸紅商店の専務、古川鉄治郎(1878~1940年)の全額寄付によってまかなわれた。豊郷村の出身で、明治20年に至熟尋常小学校(豊郷小学校の前身)を卒業した鉄治郎は、「国運の進展は普通教育の振興に侯(ま)つ所頗(すこぶる)る大なり」(国の発展は国民の教育の振興にある)との思いから、地元豊郷の小学校建設に尽力する。小学校建設の総工費は43万円。当時の額面で豊郷村の年間予算の10倍以上にもなったといわれる。そのほかに学校に必要な備品などすべてを用意したために、最終的に寄付額はおよそ60万円にも上ったという。これは、現在の貨幣価値に直すと30億円とも40億円ともいわれ、この寄付に鉄治郎は私財の3分の2を投げ打ったというから驚くほかはない。

もともとは図書館だった「酬徳記念館」。現在はギャラリーや観光案内所などが入っている。休みになると、旧豊郷小学校を舞台にした人気テレビアニメのファンたちが全国から詰めかける

 古川鉄治郎が専務を務めていた丸紅商店は、これまた日本を代表する総合商社、伊藤忠商事株式会社の前身、伊藤忠合名会社から分社した会社だった。鉄治郎は、親戚筋にあたる伊藤忠創始者の初代伊藤忠兵衛に見込まれ、丁稚奉公から始めて丸紅商店の専務にまで上りつめた努力家だ。鉄治郎がこのように莫大な私財を学校建設に投じるにいたった背景には、初代伊藤忠兵衛が築き上げた商人道、商人哲学の影響があったといわれている。熱心な浄土真宗の門徒(信者)だった初代忠兵衛は、「商売は菩薩の業、商売道の尊さは、売り買い何れをも益し、世の不足をうずめ、御仏の心にかなうもの。すなわち利真於勤(利は勤むるに於いて真なり)」という強い信念を抱き続けていた。商いには道徳と信用が第一で、「売り手、買い手、世間ともに利益があるように」という近江商人のモットー、「三方よし」の精神に忠実に生きた経営者だった。忠兵衛が世を去った後も、その信念は鉄治郎にしっかりと受け継がれてゆく。

ふつう校舎の廊下の幅は2m程度だが、旧豊郷小学校校舎は3mもあった。各教室のドアが開き戸となっていたので、ドアの開閉時に生徒たちが衝突しないための配慮だった

 昭和3年(1928年)、鉄治郎は、呉服店だった丸紅商店を世界に羽ばたく貿易会社へと成長させるために、7ヶ月間にわたる欧米視察旅行に出かけている。このとき、欧米社会でふつうに見受けられた寄付行為、いまでいう「ノブレス・オブリージュ」にいたく感銘を受けたという。初代忠兵衛から引き継いだ信念とこの欧米での体験こそが、古川鉄治郎をして旧豊郷小学校校舎建設への意欲に掻きたてたのだ。
 そんな古川の熱意と豊郷村の人々の絶大な支持によって誕生した旧豊郷小学校校舎は、ヴォーリズ建築特有の様式美と機能美を兼ね備えた、小学校の校舎らしからぬ出来ばえの建物となった。校舎中央部は3階建てで、車寄せのある正面玄関から校舎へ入ると、その脇に2階、3階へと続く階段がある。校舎の両翼は左右対称の2階建てで、通常の授業を行う各クラスの教室のほか、理科室、絵画室、木工室、金工室、音楽室、作法を学ぶ「礼法室」など、実験・実技授業で必要となるあらゆる特別教室が完備されていた。さらには、プールや体育館、別棟の図書館、講堂なども設けられた。しかも、2階席のある600人は収容できるという講堂の下にはボイラーが設置され、全館に温水暖房設備が、そして水洗式のトイレが完備されていた。これほどまでに設備の整った小学校は当時の一般的な小学校校舎の常識を覆すもので、それはまるで大学や高等学校校舎と見間違うほどのものであったという。

入学式、卒業式で使われていた「講堂」は、現在もかつてと同じように豊郷小学校の入学式、卒業式などの行事が行われている。時折、コンサートや催しなどで使われることも

 ヴォーリズ建築の一例として、戦前期における貴重な建築物と高く評価されている旧豊郷小学校校舎。現在、旧豊郷小学校校舎は、豊郷小学校の歴史をパネルで紹介する資料館や、町立図書館、教育委員会、NPOなどの事務所が入っており、町民同士をつなぐ組織の活動拠点として運営されている。またここ最近では、2009年にテレビ放映された人気アニメの舞台になったということもあり、観光名所としての注目を浴び、週末には各地から大勢の観光客が訪れるようになった。
“歴史の生き証人”でもある旧豊郷小学校校舎は、今後も時代の波にもまれながらも、豊郷の人々の誇れる宝として愛され続けることだろう。
 
(取材日:平成22年6月)

 

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