歴史再発見

石山寺・大津市

石山寺・大津市

基本情報
名称 大本山石山寺
URL http://www.ishiyamadera.or.jp/
文化財指定等 【国宝】「本堂」「多宝塔」「淳祐内供筆聖教(薫聖教)」など
【重要文化財】「東大門」「石山寺一切経」「石山寺縁起絵巻」「仏涅槃図」など
所在地 大津市石山寺1-1-1
電話番号 077-537-0013
拝観時間 8:00~16:30(入山は16:00まで)
定休日等 無休
拝観料 500円
※平成24年4月現在

~花と文化の香り高き石山寺~

滋賀県内最古の木造建造物である石山寺の本堂は国宝に指定されている

 大津市の瀬田川西岸にある石山寺は、境内全体が天然記念物の巨大な硅灰石(けいかいせき)の上に建っている。これが「石山寺」という寺名の由来になったそうだ。
 硅灰石とは石灰岩などのマグマが地中から突出した際、花崗(かこう)岩と接触し熱の作用によって変形したもの。通常は大理石となるため、このような大きな硅灰石は珍しいという。石山寺では境内のあちこちに、巨大な硅灰石が見られる。

鎌倉時代らしい阿吽(あうん)の仁王像が立つ石山寺の東大門

 石山寺の建立は、聖武天皇の時代にまでさかのぼる。東大寺大仏造立のために多くの黄金を必要とした聖武天皇。依頼を受けた東大寺の良弁僧正は金峯山に籠り、蔵王権現の夢告にしたがって石山の地に聖武天皇の念持仏を岩の上に安置して祈ったところ、やがて陸奥国から砂金が献上された。そこで念持仏を戻そうとしたが岩から離れなかったことから寺としたのが始まりだ。奈良時代から平安時代にかけて、観音信仰が盛んになると皇族や貴族の信仰を集め、庶民からも崇敬されるようになる。源頼朝や足利尊氏、淀殿などが寄進して、境内の改修や造営、整備が行われた。
 寺の玄関に当たる東大門は、慶長年間、淀殿の寄進により改築に近い大修理が行われ、重要文化財に指定されている。鎌倉時代らしい阿吽(あうん)の仁王像が立つ。これは鎌倉時代の仏師・運慶とその子湛慶の作と伝えられている。東大門から境内に続く参道の両脇には、桜や霧島ツツジ、もみじが植えられ、季節ごとの彩りが参拝者を楽しませてくれる。

蓮如堂と、その奥の本堂は懸造り

 石段を上ると、硅灰石前の広場に出る。重要文化財の蓮如堂の北側を西に進むと、その奥に本堂がある。国宝に指定されている本堂は、滋賀県最古の木造建造物で、「正堂(せいどう)」と呼ばれる内陣、「礼堂(らいどう)」と呼ばれる外陣、その二つをつなぐ「相(あい)の間」の三つで構成されている。内陣は平安時代の中期に建造、外陣は淀殿の寄進によって改築されたもの。本尊の如意輪観世音菩薩は33年に一度しか開扉されないという秘仏で、次回は2016年の予定だという。
 本堂や蓮如堂を参拝した時は、建物の外側を見てみよう。京都の清水寺のような懸造り(かけづくり)になっているのだ。懸造りとは、急な斜面や段差のある場所に建物を建てる場合に、床を水平に保つために多くの柱を用いて支える手法のこと。清水の舞台ならぬ石山の舞台が見られる。

平成の大修理を終えた国宝『多宝塔』

 本堂からさらに石段を上がっていくと、多宝塔がある。建久5年(1194年)に源頼朝の寄進によって建立された。日本で建立年代がわかっている多宝塔の中では最古だと言われ、国宝に指定されている。日本三大多宝塔としても有名だ。現在は2012年3月に「平成の大修理」が終わり、檜皮の屋根が美しく輝いている。
 松尾芭蕉ゆかりの茶室「芭蕉庵」と並んで建つのが月見亭だ。後白河上皇の行幸に際して建てられたといい、中秋の名月の頃には月見亭の上にくっきりと満月が見える。この美しい情景は、近江八景の第一「石山の秋月」として有名だ。毎年中秋の名月のころに開催される「秋月祭」では、石山の秋月を思う存分堪能できる。

 境内にはさまざまな時代の建物がある。硅灰石前の広場に立って見渡してみよう。本堂は平安時代の建立、外陣の礼堂は桃山時代、多宝塔は鎌倉時代、御影堂は室町時代、三十八社と蓮如堂は桃山時代、さらに江戸時代には毘沙門堂が建てられたという具合に、平安時代から江戸時代までの建造物がそろい、さながら建造物の博物館のようになっているのだ。しかもその多くは重要文化財に指定されている。石山寺全体が文化遺産・歴史遺産だと言えるだろう。

本堂の『源氏の間』。紫式部はどのように物語の構想を練ったのだろうか

 文化と言えば、石山寺は紫式部が『源氏物語』の構想を練ったところとしても有名だ。本堂には「源氏の間」があり、当時をしのぶことができる。『石山寺縁起絵巻』によると、上東門院(一条天皇中宮で藤原道長の娘、彰子)の女房だった紫式部が、一条天皇の叔母の選子内親王のために物語を書くように命じられ完成を祈るために石山寺に7日間こもったことが記されている。式部は十五夜の月を眺めている時に構想がひらめき、とっさに本堂にあった写経の料紙に走り書きしたのだとか。作家としての紫式部の行動が目に浮かぶようだ。
 式部が籠った部屋は、天皇や皇族、貴族といった高貴な人のための部屋で、すでに鎌倉時代には「源氏の間」と呼ばれていたらしい。それにしても女房がこのように部屋にこもることが可能なのだろうか? その疑問に石山寺の担当者は「新しい物語の制作は、お仕えしていた上東門院の依頼だったため、特別待遇だったと考えられます」と教えてくれた。
 他にも『蜻蛉日記』の作者である藤原道綱の母、清少納言や和泉式部、『更級日記』の菅原孝標の女などが、日記や随筆に石山寺のことを書き残している。さらに、芭蕉が仮住まいをしたり、島崎藤村が二ヶ月間生活をしたりと文人にゆかりの深い寺院なのだ。

 一方で石山寺は「花の寺」と言われている。早春の梅、椿、桜、ボタン、ツツジ、藤、菖蒲、紅葉と四季折々の植物が趣を添えてくれる。中には珍しい植物もあり、寺全体が植物園のようでもある。いつ訪れても石山寺は、違った顔を見せてくれる。「安産・福徳、縁結び、厄除け」などのご利益をいただきつつ、花を愛で、文人をしのびながら境内を歩いてみたい。

(取材日 2012年4月18日)

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