御上神社本殿・野洲市三上
御上神社本殿・野洲市三上
名称 | 御上神社本殿 |
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URL | http://www.mikami-jinja.jp/ |
文化財指定等 | 【国宝】 ・御上神社本殿 【国指定重要文化財】 拝殿、楼門などほかにも多数あり |
所在地 | 野洲市三上838 |
電話番号 | 077-587-0383 |
拝観時間 | 9時~17時 |
定休日等 | なし |
料金 | 無料 | ※平成22年10月現在 |
~神社には珍しい入母屋造の本殿~
その姿が富士山に似ていることから別名「近江富士」の名で呼ばれ、湖東平野に見える山々のなかでもひときわ異彩を放つ山、三上山。古くから信仰の対象だったこの山の西の麓に御上神社がある。御上神社本殿は、文化財保護法の前身の古社寺保存法の時に、「特別保護建造物」として県内の神社建築として最初の指定を受けている。
御上神社は神社そのものの由来、由緒も興味深いのだが、やはり国宝建築としての美しさを誇る本殿のたたずまいが一番の魅力だ。国宝本殿のほかにも、他所にはない数々の貴重な文化財がいまに伝えられている。
神社の東、国道8号線を挟んで反対側にそびえる標高432mの三上山は、御上神社のご神体となっている神聖な山。社伝によると、神話時代の第7代孝霊天皇6年(紀元前285年)の6月18日、祭神となる天之御影命(あめのみかげのみこと)が三上山に降臨したのを機に、御上祝(みかみのはふり)らが神奈備(神体山)として祀ったのが起源とされる。現在も三上山山頂付近には巨石の磐座が存在し、毎年、旧暦6月18日には山上祭が行われる。
時代は下り、奈良時代初めの養老2年(718年)、勅命を受けた藤原不比等が三上山の周囲に群生していた榧の木を用いて、現在地に社殿を造営した。古代の神社の由緒がわかる「延喜式神名帳」では御上神社は名神大社に列していることから、古くから野洲川下流地域の重要な神社だったことがわかる。
祭神は、記紀に登場する製鉄・鍛治の神、天目一箇神(あめのまひとつねのみこと)と同一視されている天之御影大神。三上山周辺では日本最大を誇る銅鐸を含め、数多くの銅鐸が出土していることから、この辺りに鍛治技術に精通した人々が集住していたのではないかと考えられている。実際、7~8世紀の近江は近畿地方有数の鉄の産地だったといわれ、神社の社紋が釘抜紋ということもその関係の深さを物語っているように見える。
国宝の本殿については、建立年代ははっきりとしないが、その様式などから照らし合わせると、おそらく鎌倉時代後期、14世紀頃のものと推測できるという。桁行3間、梁間3間、入母屋造(いりもやづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)。入母屋造のほか、漆喰壁(しっくいかべ)、連子窓(れんじまど)などの特徴を見れば、仏堂の建築様式が採り入れられていることがわかる。それでも屋根に載っている千木(ちぎ)、鰹木(かつおぎ)があるところを見ると、この建物がはっきりと神社建築だと認識できるだろう。縁には高欄が付き、縁を支える「縁束石」(えんずかいし)には、美しい蓮弁が彫られており、この部分を見ると特に仏堂らしさを感じさせる。東南隅(正面右)にある礎石には「建武4年(1337年)」の銘があり、向拝(こうはい)、縁の部分は、そのときに改修されたと見られている。
国宝本殿の前には拝殿が、そしてその手前には寺院にあるような堅牢な楼門が建つ。拝殿とこの二階建ての楼門は国の重要文化財に指定されている。本殿向かって左には伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、 菅原道真などを祀る摂社の若宮神社(国指定重要文化財)、向かって右には瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を祀る三宮神社(県指定文化財)も鎮座する。
中世の頃、応仁の乱や野洲川の氾濫による被害などで荒廃していた時期もあった御上神社。だが、そのたびに周辺の村人たちの篤い信仰心と大工、石工ら職人たちの力によって再興されてきた。先人たちの知恵と苦労の結晶、国宝本殿を始めとする御上神社の文化財を後世に守り伝えたいものだ。
(取材日:平成22年6月)