歴史再発見

安土城跡・近江八幡市安土町

安土城跡・近江八幡市安土町

基本情報
名称 安土城跡
URL
文化財指定等 国指定特別史跡
平成20年度近江水の宝選定
所在地 近江八幡市安土町下豊浦
電話番号 0748-46-7049(安土町観光協会)
入山時間 9時~16時(季節によって変動あり)
定休日等 無休
料金 大人500円、小人100円
※平成22年9月現在

~失われた幻の城「安土城」跡に信長の威信を見る~

大手門推定地周辺は整備が完成している。

大手門推定地周辺は整備が完成している。

 戦国大名・織田信長は、天下統一の過程で那古野城から清州城へ居城を移し、その後も天下布武を目指して小牧山城、岐阜城と次々に城を築いていく。天正3年(1575年)、長篠の戦いで武田軍に圧勝した信長はその勢いで越前にも行軍して領地を広げた。翌天正4年(1576年)には、近江を京都と北陸・美濃とを結ぶ重要な拠点と考え、政治手腕に優れた重臣・丹羽長秀を土木工事を取り仕切る普請奉行に命じ、安土山に大城郭の建設を開始する。安土山は琵琶湖の東岸にそびえる標高199mの山で、築城当時は琵琶湖に突き出すような形だった。琵琶湖のおかげで安土山は守りやすい地形だったことに加え、山の麓から船を出して水運を利用できるというメリットもあったのだ。
 安土城は当時最高の技術を持った職人と大勢の人夫が集められ、文化の粋を結集して築城された。安土城が特徴的なのはそれまでの「守る」城と違い、「見せる」城だった点である。「戦闘」が主たる目的ではなく、政治支配に重きを置いた施設だということだ。
「城」と聞いて一般的に思い浮かべるのは、石垣の上に立つ高い天守閣の姿だろう。だが安土城の天主(天守)ができるまで、日本にそのようなスタイルの城は存在しなかったのだ。しかも屋根は金色に輝く瓦で覆われ、柱は黒や朱の漆で塗られていたと文献には記されている。実際に発掘調査によって、金箔を張った瓦やシャチホコが見つかっている。
 煌びやかに飾られ威風堂々とそびえ立つ姿は周囲に権威をアピールし、城内には政治的・商業的な機能を内包するなど、のちに続く近世城郭へ受け継がれる機能がすでに組み込まれていた。
 しかし、天正10年(1582年)に本能寺の変によって信長が殺害され、その後、天主や本丸が焼失。天正13年(1585年)に小牧長久手の戦いで信長の息子・信雄が秀吉に屈すると安土城は廃城となった。城跡は信長が城内に建てた摠見寺によって現在まで守り続けられている。
 安土城跡は大正15年(1926年)に史蹟、昭和27年(1952年)に特別史跡に指定され、文化財として保護されることになり、発掘調査や石垣の修理などが行われるようになった。さらに平成元年(1989年)から、より長くより多くの人に国の宝といえる安土城跡に親しんでもらうため、『特別史跡安土城跡調査整備事業』が20カ年計画で実施され、平成20年度に終了した。この事業では城の外と中を繋ぐ百々橋口道・搦手道・大手道とその道沿いや、屋敷地、天主・本丸がある主郭部などの調査が行われ、大手道と道沿いの屋敷跡を調査結果に基づいて整備し、石垣などの復元が行われた。
 文化財保護課城郭調査担当(旧滋賀県安土城郭調査研究所)では、古文書や記録類などを丁寧に読み解くなど、城郭に関する調査や研究が行われている。文化財保護課 副主幹の松下浩さんに、安土城跡の調査についてお話を伺った。
「城郭についての調査研究を進め、そこで得た情報を発信・活用していくことが私たちの役割です。平成20年度で『特別史跡安土城跡調査整備事業』が終了しましたが、安土城跡にはまだ調査の進んでいない部分が広く残されています。安土城跡は当時のことを知る上で非常に重要な遺構ですので、今後に再び大規模な調査事業が行われる可能性もありますが、現在のところは未定です。復元や整備については、『なぜ天主を復元しないのか』と聞かれることがあるのですが、それは天主がどのような形状だったのかはっきり分かる資料がないためです。決定的な資料があれば天主の復元が行われるかもしれません。信長がバチカンのローマ法王に贈った屏風には、安土城と城下町が描かれていたといわれます。もしそのような新しい資料が見つかれば、天主の姿や構造が次第に明らかになっていくことでしょう」
 滋賀の、そして日本の歴史のターニングポイントを今日に伝える特別史跡、安土城。今回、実際に現地を取材してみて、その雄大さ、規模の大きさに驚かされた。
(取材日:平成22年9月16日)

関連タグ一覧