今宿一里塚・守山市今宿町
今宿一里塚・守山市今宿町
名称 | 今宿一里塚 |
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URL | – |
文化財指定等 | 滋賀県指定史跡 |
所在地 | 守山市今宿町字南町字東辻戸 |
電話番号 | – |
営業時間 | – |
定休日等 | – |
料金 | – | ※平成22年9月現在 |
~滋賀県内に唯一残る一里塚~
かつて中山道67番目の宿場、守山宿の一部として栄えた守山市今宿地区には、滋賀県内で唯一現存する一里塚がある。一里塚とは、距離を表す一里(約4km)ごとに築かれた、街道をゆく旅人に距離を知らせるためのもの。江戸時代の初め、慶長9年(1604年)に徳川家康が2代将軍秀忠に整備を命じ、五街道とそのほか重要な街道筋の両脇に設けられた。塚の上には、道行く旅人の目印となるよう、また旅人たちが木陰で小休憩できるようにと、榎や松などの木が植えられた。特に榎の木が選ばれたのは、成長が早く、根が広く張るので塚の盛り土の崩落を防ぐことができると考えられたからだ。
今宿の一里塚は、江戸と東海道との合流点草津宿を結ぶ中山道に129ヶ所あった一里塚のうち、江戸・日本橋から数えて128番目の一里塚。県内では、東海道、中山道のほか、朝鮮人街道、北国街道、北国脇往還、西近江路などの街道沿いに築かれたが、明治以降、道路事情の改良・拡幅に伴う工事、農地、宅地への転用などによって徐々に消えていった。復元された一里塚や一里塚跡を示す石碑は県内各地で見られるが、当時の一里塚が実際に残っているのは、県内ではこの今宿のものだけのようだ。ただし、高島市新旭町安井川にある西近江路の「河原市一里塚」のように、一里塚の名残を示すものが現場に残されている例は県内にも数例残っている。
今宿一里塚は、本来道を挟んで2つあったもののうち、南側のものだけが残っている。現存する塚はもともとの規模からすると小さくなってはいるものの、一里塚として活躍していた当時の面影はいまも健在だ。塚の上には、昭和の中ごろに枯れた先代の榎の脇芽が成長したという2代目の榎がしっかりと根を張っており、その堂々とした枝ぶりで一里塚らしい見映えに仕立ててくれている。
現在、今宿一里塚の周囲は閑静な住宅街になっている。そして、一里塚から守山の中心部へ向けては、宿場風情を残す趣あるたたずまいの家並みが続く。戦国武将に関係する城跡などと違ってあまり話題に上ることもない一里塚の遺構。だが、いまや県内唯一無二となってしまったこの貴重な歴史遺産には、もう少しスポットライトがあたってもいいのでは、と思わずにはいられない。
(取材日:平成22年6月)