伝統再発見

大津絵・大津市三井寺町

大津絵・大津市三井寺町

基本情報
名称 大津絵
URL http://www.otsue.jp/(「大津絵の店」HP)
文化財指定等 滋賀県知事指定伝統工芸品
所在地 大津市三井寺町3-38
電話番号 077-524-5656
営業時間 10:00~17:00
定休日等 毎月第1、第3日曜日
料金
※平成23年3月現在

~庶民が育てた 素朴な民画~

工房にて制作を行う、4代目髙橋松山さん。愛嬌のある図案からも、哀愁や寂しさなどさまざまな感情が伝わってくる。

「大津絵」とは、東海道、逢坂関の西側に位置する追分や大谷周辺で、描き、売られてきた民画で、画題はさまざまだが、神仏や人物、動物などがユーモラスに描かれており、道歌が添えられているのが特徴だ。社会に対する風刺が込められたものも多い。
 大津絵には独特の技法や特徴がある。数多くの作品を仕上げるために生まれたものが中心で、絵を描く際に合羽摺り、版木押し、コンパス、定規類を用いることもそのひとつである。また、およそ7色ほどと少ない色数で描かれるのも特色である。墨、丹(朱)、胡粉(白)、黄土などの泥絵の具を用い、手馴れた熟練の技で作品を仕上げていく。

大津絵の代表的なモチーフとなっている「鬼」だが、最初期の大津絵には存在しなかった。

 大津絵の発祥は江戸時代にまで遡る。寛永年間(1624~1643年)の頃、仏画として描かれたのが発祥だという。当初は信仰の一環として用いられ、キリシタン弾圧に際しては、一種の免罪符のような役割を担ったともいわれている。松尾芭蕉の有名な句に、「大津絵の筆のはじめは何佛」とある。これは、「大津絵師の描き初めは何の仏様であったのであろうか」との意である。やがて大津絵は世俗画へと転じる。時代の推移と共にさまざまな画題が描かれるようになり、百種以上の図柄が生まれた。仏画、風刺画、武者絵、美人画、鳥獣画などに分けられているが、本来はもっと多くの図柄があったのだという。しかし、売れないものは次第に淘汰されていき、約百種というところで落ち着いたと考えられる。大津宿で売られるようになった大津絵は、東海道を旅する人々の間で、みやげ物や護符として大流行するようになった。江戸後期になると、「鬼の寒念仏」「藤娘」「寿老人」など代表的な10種の画題が「大津絵十種」と呼ばれるようになり、護符的な意味合いが強くなる。この10種が大津絵の中心になり、一時期はほかの図柄はほとんど描かれることがなくなってしまったほどだ。明治以降、欧米文化追随の風潮や鉄道の開通などの影響もあり、民心は徐々に大津絵から離れ、描く人も少なくなってしまった。しかし、大津絵を愛する一部の絵師の尽力もあり、細々とではあるが大津絵は現代も人々に愛され続けている。

 大津絵の継承や普及に代々尽力されてきた、4代目髙橋松山さんに話を聞いた。小学生の頃から、親の仕事を見、手伝うという形で大津絵に携わってきた髙橋さん。墨すりや色付けなどの作業からはじめ、徐々に絵筆をとるようになった。現在は、5代目となる息子さんと共に150名ほどの生徒さんに大津絵を教える活動も行っている。「県外からの生徒さんが半数近くいるなど、大津や滋賀の外にも広がっています。大津絵を描いていると、さまざまな発見があるとか、描いていると楽しいとか言ってくれます」と髙橋さん。

「大津絵を描くということには終わりがありません」。50年以上大津絵と携わってきたが、まだまだ向上していく点が多くあると髙橋さんはいう。

 「文化を残すという意味合いも当然ありますが、生業として大津絵を描いています。面白いから描いている、自分のためという部分もあります」と笑いながら話すが、言葉の端々からは大津絵を残したい、伝えていきたいという使命感や熱意が垣間見える。髙橋さんは「外国から来た人が、大津絵を見て『初めて日本に会えた』と言ってくれました。素朴で、海外からの影響がほとんどない生粋の日本の絵だという風に見えたんでしょう」とも話した。妥協することなく、意固地になるのではなく、自然体で描き続けた大津絵はいつの間にか、最も日本を感じさせる存在になっていたのだ。庶民から生まれ、庶民が育て、継いできた大津絵は、庶民の文化だったがゆえに、独自の地位に至ったのではないだろうか。

「大津絵は人そのものを風刺しているものでもあります。人が主役ですから、現代人にもそのまま当てはまるものもたくさんあるのです。決して古くない、今の世の中にも当てはまる風刺の精神や素朴でありつつも繊細な絵柄を見ていただきたいと思っています」。
(取材日:平成23年1月18日)

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