伝統再発見

日撫神社奉納角力と角力踊り・米原市顔戸

日撫神社奉納角力と角力踊り・米原市顔戸

基本情報
名称 日撫神社奉納角力と角力踊り
URL
文化財指定等 日撫神社の梵鐘は県指定文化財、薬師如来懸仏は米原市指定文化財
所在地 滋賀県米原市顔戸77(日撫神社)
電話番号 0749-52-1792
開催日時 毎年9月第3月曜日(敬老の日)
定休日等
料金
※平成22年9月現在

~角力甚句の唄声の中、土俵の上で力士たちが勇壮に踊る~

角力踊りを行う力士たち。今年は13人だったが本来は18人で行うとのこと。

角力踊りを行う力士たち。今年は13人だったが本来は18人で行うとのこと。

 米原市顔戸にある日撫(ひなで)神社は、延喜式内社(『延喜式神名帳』という10世紀初頭に記された神社)として由緒ある神社だ。社伝および明治の神社誌によると、元々この地は仲哀(ちゅうあい)天皇の后である神功(じんぐう)皇后の祖先代々が住む地だった。新羅への出兵を行った神功皇后は、凱旋の時に日撫神社を建立したと創立の由来を伝えている。社殿などは戦国時代の戦火などで焼失してしまったが、江戸時代の後期である享保8年(1723年)に再建され、拝殿等は寛政年間(1789~1800年)に落成されたものである。

最初に行われた「はな角力」。東と西の力士が一勝ずつすると決められている。

最初に行われた「はな角力」。東と西の力士が一勝ずつすると決められている。

 この日撫神社で秋祭りに行われるのが奉納角力(相撲)と角力踊りである。奉納角力は、しばしば参詣に訪れた後鳥羽上皇が村人たちの角力を観覧して黄牛(黄毛の牛)を奉納した出来事に由来し、以来、角力は毎年の秋祭りに神社境内の土俵で奉納されるようになったとされる。中入りに奉納される角力踊りは江戸時代に始まったもので、綸子、緞子織(絹の紋織物)の豪華な化粧まわしを締めた力士たちが、相撲甚句に合わせて土俵の上で踊る勇壮なものである。近年まで江戸末期・弘化年間に彦根藩主の井伊家から拝領した化粧まわしをおおよそ150年にわたって使用していたが、歴史的価値を考慮して大切に保管し、今は新たに作り直した化粧まわしを使用している。

祭りが始まる前の様子。土俵なども保存会の人たちだけで準備されている。

祭りが始まる前の様子。土俵なども保存会の人たちだけで準備されている。

 奉納角力は以前は大人の力士が行うものだったが、今年は子供力士がその役目を務めた。まず最初は塩を挟んだ和紙を口にくわえた力士同士による「はな角力」が2番行われ、次に小結、関脇、大関による「三役角力」が行われる。ここまでが神に捧げる奉納角力で、これが終わると地元の小・中学生たち十数人による相撲大会がスタート。相撲大会も以前は大人も参加していたとのことだ。相撲大会では、子供力士による勝負が次々と行われ、勝者にも敗者に懸賞品と惜しみない拍手が送られた。相撲大会が一段落するころに、中入りとなって角力踊り(ひなで)踊りが開始される。角力踊保存会の力士が土俵入りを披露したあと、角力甚句の歌声に合わせて「あーどすこい、どすこい」などと囃しながら手拍子を打ち、力強い振り付けの踊りを踊る。唄い手は2人で交代しながら次々と角力甚句を唄っていくのだが内容もさまざまで、角力に関するものだけでなく、笑い話や艶話、日撫神社や米原のことを歌詞に入れた唄などもある。
 角力踊りが終わると子供相撲大会が再会され、最後は弓取り式や再び三役相撲が行われて、今年の日撫神社奉納角力は幕を閉じた。

独特なリズムの角力甚句が唄いあげられると、にぎやかだった空気が引き締まる。

独特なリズムの角力甚句が唄いあげられると、にぎやかだった空気が引き締まる。

「日撫神社角力踊保存会は、昭和52年に設立されました。およそ50名ほどの保存会会員や地元の方の協力によって、古い歴史のある伝統芸能を保存すべく活動しています。ニュースなどでも取り上げていただき、観覧に来られる方も増えているのですが、一方で会員の高齢化が進み、どうやって未来に引き継いでいくかという問題に直面しています」とは、日撫神社角力踊保存会の方の談。「角力甚句にも新しく作ったものを加えるなど、伝統の上に新しいものを積み重ねていくことも行っています。子供たちに奉納角力をしてもらうようになったのも、伝統行事としての奉納角力と角力踊りに幼いうちから慣れ親しんでほしいという思いからです。彼らが大人になった時、積極的に活動に参加してくれれば嬉しいですね。できるだけ多くの方に角力踊りへ興味を持っていただきたいと思います」
(取材日:平成22年9月20日)

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