彦根仏壇・彦根市
彦根仏壇・彦根市
名称 | 彦根仏壇 |
---|---|
URL | http://www.hikone-butsudan.net/ (彦根仏壇事業協同組合) |
文化財指定等 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品 |
所在地 | 滋賀県彦根市中央町3-8 |
電話番号 | 0749-24-4022 | 営業時間 | 9:00-17:00 |
定休日等 | 土曜・日曜・祝日・夏期・冬期休暇有り |
料金 | – | ※平成22年9月現在 |
~受け継がれてきた七職の技~

彦根市を流れる芹川の左岸沿い、新町から元岡町にかけて通称「七曲り」と呼ばれている地域がある。ここは滋賀県の伝統的工芸品の1つである彦根仏壇の生産地で、製作に関わる職人の住む町でもある。彦根仏壇は江戸時代中頃に生産が始まったとされており、その伝統を守ってきたことから昭和50年(1975)に仏壇としては初めて経済産業大臣指定の伝統的工芸品の指定を受けた。彦根仏壇は七職と呼ばれている「木地・宮殿・彫刻・錺金具・漆塗・金箔押・蒔絵」に明確に分業されており、それぞれの工程に伝統の技が受け継がれている。

民家に仏壇を設ける習慣は鎌倉時代に始まったが、一般の人々の家に普及したのは江戸時代に入ってからだといわれている。徳川幕府がキリスト教を禁止し、仏教の宗派をかえることも制限した。このことにより異教徒でない証をたてるため自分の宗派の仏壇を家に備えることが盛んになったというのだ。特に江戸時代中期以降、庶民の生活水準が向上し、「座敷に仏壇、台所に戸棚、庭隅に牛」と農家の重宝品として数えられたという。
彦根仏壇の起源については明らかとなっていないが、江戸時代の中頃より仏壇の製造販売が行われるようになったと考えられている。
当時の彦根城下町には武器生産に関わる職人が多く集められていた。しかし、平和な時代が続くようになっており、塗師、指物師、錺金具(かざりかなぐ)師など武具の生産に関わっていた人々が生計を立てるために他の分野でこれまでの技術をいかそうとした。このような背景があって仏壇問屋が生産計画を立て、各職人に発注指示を出せば仏壇が作れるという環境が出来上がり、仏壇の製造は職人から職人へと流れるような工程で作られ、最後に問屋が組み立てるという問屋制家内工業の形で行われていく。このため一定の地区で集住して生産を行うことが効率的で、有力な問屋を中心に職人が集まり、仏壇づくりの町が出来上がった。それが現在でいう「七曲り」である。彦根仏壇は高級品から普及品まで幅広い生産体制を築き、全国各地に普及していく。

明治時代に入る頃、仏壇業界の混乱から商品としての格付けが下がるなど産業として危機に陥ったが、組合の設立などによる内部努力の結果、健全な発展を遂げていくことになる。しかし、第2次世界大戦が始まると物資や職人の不足から仏壇の製造が不可能となる。戦後も物資の不足が続き、また仏壇を持つ家庭が少なくなるなど産業として彦根仏壇が復興するのには時間を要した。

現在では製作に使われる素材の多様化や仏壇製造の主要な工程を行える工場の建設により、従来の問屋制家内工業から工場生産制への生産形態の移行など仏壇が彦根で作られ始めたころとは環境が大きく変化している。また一般に販売されているものには海外から完成品を輸入したものもある。このような状況のなか、彦根仏壇のことを知ってもらおうと説明会や見学会を開く店舗がある。そこでは仏壇に関する知識、実際に伝統の技を見せていただくことができ、このような取組が伝統を守ることへとつながっている。