伝統再発見

長浜曳山まつり・長浜市

長浜曳山まつり・長浜市

基本情報
名称 長浜曳山祭り
URL http://www.nagahama-hikiyama.or.jp/(長浜市曳山博物館HP)
文化財指定等 国指定重要無形民俗文化財
所在地 長濱八幡宮~御旅所を中心とした市内中心部
電話番号 0749-65-3300(長浜市曳山博物館)
開催日 4月15日(本祭)
定休日等
料金
※平成22年10月現在

~長浜中が祭り一色に。豪華絢爛な曳山まつり~

長浜曳山祭りの風景1

 県内ではいくつかの市町に「曳山まつり」が伝わっている。なかでも長浜の「曳山まつり」は、県内はもとより、その名を全国に轟かせるほど有名な祭りだ。祇園祭、高山祭とともに「日本三大山車祭り」のひとつにも並び称せられ、国の重要無形民俗文化財にも指定されている。祭りの期間中は県内外から多くの観光客が詰め掛け、長浜は曳山まつり一色となる。

長浜曳山祭りの風景2

 長浜の曳山の特徴は、漆塗りと金箔の装飾が随所に施されたその麗しい見目。豪華絢爛な曳山は、見ているだけで幸せな気分にさせてくれる。例年、「出番山」と呼ばれる4基の曳山が祭り舞台に登場するが、2010年は合併によって市域を拡大した新長浜市の誕生を記念して、全13基の曳山のうち12基が4年ぶりに御旅所に出揃った。
 曳山まつりの起源は、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が初めて一国の主となり、長浜城を築いた戦国時代の終わりのころ。秀吉に初の長男ができ、その喜びのあまり、城下の民に砂金を振舞ったという。人々はそれをもとに曳山を造り、長濱八幡宮の祭りに繰り出したのがこの祭りの始まりなのだそうだ。

長浜曳山祭りの風景3

 江戸時代初めに長浜城は廃城となり、城下町としての長浜の歴史は幕を下ろしたが、その後は浄土真宗大通寺の門前町として、また北国街道の宿場町としておおいににぎわった。そんななか、商工業の発展による繁栄で町人文化が育まれ、江戸時代中ごろから町人たちはこぞって曳山に贅を尽くすようになる。今日見られる曳山の多くはそのころ造られたもので、うっとりとしてしまうほどのきらびやかな装飾は、長浜の曳山ならではといえるだろう。
 曳山の構造は、高さ約7m、幅約3m、奥行約7mの2階建ての入母屋造りで、1階に舞台と楽屋、2階に囃子をするための「亭」(ちん)と呼ばれる豪華な館風の建築が施されている。曳山に掛けられた見送り幕のなかには、約400年前に織られたというベルギー製のゴブラン織などもある。現在、曳山に掛けられているものはそのレプリカで、本物は国の重要文化財に指定されているため大切に保管されている。

長浜曳山祭りの風景4

 長浜の曳山の魅力は、壮麗な装飾だけにとどまらない。長濱八幡宮から長浜城の大手門跡にある御旅所へとゆく曳山は、途中、市内各所で「子ども歌舞伎」を上演する。この「子ども歌舞伎」が長浜の曳山を象徴する一番の見もので、子どもたちの演技たるや、「これぞまさしく歌舞伎役者」と感じさせるほどの完璧な出来ばえ。発声にしても、表情にしても大人顔負けの本物の歌舞伎役者といっていいほど。何気なく見ているうちに、いつの間にか歌舞伎の世界にどっぷりと惹き込まれていく。それもそのはず、名誉ある役者に選ばれた子どもたちは、1ヶ月にも渡ってしっかりとした演技指導を受けるのだという。

長浜曳山祭りの風景5

 4月9日から16日まで一週間に渡って繰り広げられた2010年の曳山まつり。15日の夜には、12基の曳山が御旅所に出揃い、曳山の提灯の灯が幻想的な光景を浮かび上がらせた。そして、「出番山」による子ども歌舞伎のトリ、神戸町組の「孔雀山」が「仮名手本忠臣蔵七段目一力茶屋の場」を披露すると、観客からは大きな掛け声とともに拍手喝采が巻き起こった。
(取材日:平成22年4月)

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