伝統再発見

信楽焼・甲賀市信楽

信楽焼・甲賀市信楽

基本情報
名称 信楽焼(しがらきやき)
URL http://www.e-shigaraki.org/ivent-now/densan/(信楽伝統産業会館)
文化財指定等 経済産業大臣指定伝統的工芸品
所在地 滋賀県甲賀市信楽町長野1142
電話番号 0748-82-2345
営業時間 9:00~17:00
定休日等 木曜日、年末年始
料金 入場無料
※平成23年1月現在

~古来より親しまれてきた伝統ある焼物~

① 日本六古窯の一つ信楽焼。炎によって生じるグラデーションが素朴な土の味わいを出す。(写真:奥田さん提供)

 天平14年(742)、聖武天皇の紫香楽宮造営の折に、瓦を焼いたのが起源と云われる信楽焼。中世から現在まで続く焼物で日本六古窯の1つに数えられている。「火色」「焦げ(灰被り)」「自然釉」の3つの要素が特徴で、素朴な土味が魅力である。昭和50年(1975)には経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定された。

ドイツの専門学校にて成形のパフォーマンスを行う信楽焼伝統工芸士の奥田英山さん。(写真:奥田さん提供)

 信楽焼と一言でいっても茶器や花器をはじめ、食器や植木鉢、傘立てなどの日用陶器や建築用タイルなど多くの製品があり、時代の移り変わりとともに様々な物が作られてきた。鎌倉時代ごろまでは壷・すり鉢・水がめなどの焼物づくりが行われていたが、名声が一気に高まったのが室町時代。茶道の流行と合わせて信楽焼の茶器が広まった。わび茶の完成者として知られる千利休は自分好みの茶器を信楽の工人に作らせている。
江戸時代半ばからは日用品の生産が盛んになる。庶民の日用品として茶壷や徳利、土鍋などが作られた。庶民の愛用品となる一方で、幕府の命令で「御用茶壷」が作られるなど、日本全国で信楽焼の陶器が使われるようになった。以前まで使われていた『穴窯』から『登り窯』への移行が信楽焼の大量生産を支えた(※登り窯については別記事参照)。
 明治時代になると熱に強く、保温性に優れた信楽焼の火鉢が人気となる。昭和30年(1955)ごろには全国で作られる火鉢のおよそ90パーセントを占めるまでになった。その後は植木鉢などが作られるようになり、タイルなど建築用陶器が生産の主流となっていった。平成に入るころには電気窯やガス窯なども広まり、現在はオートメーション化した工場も稼動している。
信楽焼といえば狸の置物をイメージする人も多いが、実はこの狸の置物の歴史は浅く、明治時代に陶芸家の藤原銕造が作ったものが最初といわれている。昭和26年(1951)に昭和天皇が信楽町を行幸の際、たくさんの狸に歓迎されたことに感銘して歌を詠んだという逸話によって全国に知られるようになった。また狸だけでなく、町内には信楽焼のタイルや陶板が使われた道や橋、モニュメントが建てられている。

奥田さんが開いている陶芸教室には高等学校時代の同級生も通う。教室の生徒でも、経験を積めば伝統ろくろを使って作品づくりを行うという。

 信楽焼の特徴は、土中の鉄分が赤く発色する『火色』、窯のなかで炎の勢いにより器物に灰がふりかかる現象による『自然釉』、また、薪の灰に埋まり黒褐色になる『焦げ』も含めた炎が生み出す独特の焼き上がりから生まれる景色にあるといわれている。灰釉の他にも、植木鉢や火鉢に見られる「なまこ釉」など、絵付の商品が少ないためか釉薬の種類が多いことや、大物づくりの成型、乾燥、焼成技術なども信楽焼の代表的な特徴である。

「家庭でぜひ信楽焼を使ってほしい」と思いを語る奥田さん。

 信楽焼50年の経験を持つ奥田英山さんにお話を聞いた。伝統工芸士会の副会長を務め、後継者の育成にも携わる奥田さんは信楽焼の現状についてこう語る。「陶器が生活の中で使われることが少なくなっており、その中で伝統工芸士の後継者を育成していくことは難しい。しかし信楽焼の伝統を守っていくことは日本の文化にもつながっていく」。
海外からも日本の伝統文化として注目される信楽焼。2010年、奥田さんはドイツのミュンヘンにある専門学校で小物ろくろを使った作品づくりや茶道のパフォーマンスを行っている。伝統を守る活動をしながらも「何歳になっても粘土を触っていたい。自分の作りたいものを作り続けたい」。1 年に1、2回個展を開き、自身の作品づくりも行っている。

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