伝統再発見

七川祭・高島市新旭町

七川祭・高島市新旭町

基本情報
名称 七川祭(しちかわまつり)
URL
文化財指定等 滋賀県選択無形民俗文化財(奴振)
開催地 大荒比古神社 滋賀県高島市新旭町安井川84
電話番号 0740-25-2200(大荒比古神社)
祭礼日 毎年5月4日
定休日等
料金
※平成23年5月現在

~古式ある的練りの様 湖西随一の馬祭~

奴が的を片手で持ち練り歩く「的練り」

 大荒比古神社で毎年5月4日に行われる七川祭。湖西随一の馬祭と言われ、湖西地方の大祭として、昔から大勢の見物客を集め、「馬駆け」「的練り」と呼び親しまれてきた。3基の的を射抜く流鏑馬、役馬競馬、奴振がとり行われる。この奴振が昭和33年に滋賀県の無形民俗文化財の選択を受けている。
 七川祭がはじまったとされるのは鎌倉時代。近江領主佐々木信綱は隠世するにあたって自らの息子にそれぞれ近江領地を分け与えた。この時、高島田中庄を与えられたのが後に高島や朽木までを領有することとなる次男の高信(後の高島氏)。この高島佐々木一族は出陣の際には、大荒比古神社に武運を祈願し、戦勝のときには、神社に12頭の流鏑馬と12基の的を献納した。これが七川祭のはじまりであると伝わっている。

厳格な雰囲気で行われる神御供の式

  祭は旧8ヶ村(新旭町の井ノ口、安養寺、川原市、北畑、新庄、平井、堀川、安曇川町の十八川)の氏子が毎年順番に渡し番を務める。祭りの役は『流鏑馬・素走り・役馬の乗り手』、『警固』、『唐丁持ち』『的練りを奉納する奴』『傘鉾、太鼓、鉦』とあり、各奉仕者の選任や用具裝束の用意など、8年に1度当番が回ってきたときは年始より祭の準備にとりかかり大忙しとなる。
 祭礼当日は朝、各村から[警固・唐丁持ち・的練り奴・鉾警固・傘鉾・太鼓・鉦・役馬]の行列が的練りを披露しながら集合地に向かう。各村の行列が合流し、山王さんの礼練り、神御供の礼練りととり行われ、行列が神社の大鳥居に姿を現すのは正午を過ぎたころになる。各村とも所定の杭に鉾を結えて休む。この頃になると見物客の姿も増えて、3つの的が立てられた馬場(参道)の両側に作られた桟敷も賑わってくる。

流鏑馬発走の前に行われる「扇の手」と呼ばれる動作。

  休憩をとっていた行列から奴が登場し、馬場の1の的と2の的の間で1練り、2の的と3の的の間で大宮礼練りを奉納する。「奴振」は3メートルの青竹の先に50センチ四方の四角い板を差し込んだ「的」を持ち練り歩く「的練り」12人と、天狗とお多福のお面を御幣に取り付けたかざり樽を持ち練り歩く「樽振り」2人が務める。紫色の揃いの半纏を身に付け、背中には佐々木家の「四ツ目」家紋。各村から選ばれた総勢14名で奉納される。奴振りは『伊達で粋な奴姿を風流踊に取り込んだもの』『大名行列の模倣の中で奴の振りを演じるもの』の2種類があるといい、七川祭のものは後者にあたる。

約300mの神前にむけてかけていく流鏑馬。3つの的に向けてそれぞれ矢を放つ。昔は弓につがえて射いっていたが、危険なため現在は投げ矢。

  的練りの次は本殿にあがる石段の下で「神御供(みごく)の式」が始まる。厳粛な雰囲気の中行われ、神前に供えられた神御供を下げて村の代表者らがこれをいただく。式が終わると馬の宮参りへ、きらびやかな馬具に飾られた流鏑馬と役馬が神前に拝礼する。
 そして始まるのが素走り・流鏑馬・役場の競馬である。まずは、露払いの役目を担う「素走り」が駆け上がる。乗り手は裃を身に付け威儀を正す。次の流鏑馬は発走の前に「扇の手」を神前に奉納し、3つの的に向けて矢を放ちながら駆け上がる。流鏑馬が3度行われ、続いて役馬の競馬へと続く。8頭の馬が駆け上がる様は、勢いよく駆け上がる馬、ゆっくりと歩く馬など様々で見物客からは歓声があがる。
 競馬が終わると扇練り、笠鉾・鉦・太鼓の宮参りへと続く。扇練りは奴が2の的と3の的の間で行うもの。「的」の代わりに「扇」を持ち行うもので、奴としてこの日最後の練りとなるので神前への礼の意味を持つ。最後に神輿の渡御があり、この神輿を御輿庫に納めるところで七川祭は終わりを迎える。大任を果たした祭りの参加者たちは各地区へと帰っていく。
 昔、湖西地域一帯は馬耕地域であり、牛馬による農耕が盛んなときには各地で農家が飼育していた農耕馬を祭りの駆馬として奉納し、各地で氏神例祭に流鏑馬の神事が奉納されていた。しかし近代に入り戦争が激しくなると馬祭りは行われなくなる。七川祭も昭和18年から22年までの5年間は中止となっていたが、再興している。盛んなころには100頭以上の馬が出たという盛大な祭り。現在は流鏑馬1頭と各地区から奉納される役馬8頭で行なわれ、湖西随一の馬祭は今に続いている。

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