黒川の太鼓踊り・甲賀市土山
黒川の太鼓踊り・甲賀市土山
名称 | 黒川の花笠太鼓踊り |
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URL | – |
文化財指定等 | 県指定無形民俗文化財 |
開催地 | 大宮神社 滋賀県甲賀市土山町黒川 |
電話番号 | 0748-65-0708(甲賀市観光協会) |
開催日 | 毎年4月第3日曜日 |
定休日等 | |
料金 | – | ※平成23年4月現在 |
~雨乞いを今に伝える太鼓踊り~

甲賀市土山町黒川の大宮神社では毎年4月第3日曜日に祭礼行事として黒川の太鼓踊りが奉納される。室町時代に流行した風流踊りに原型を持つとされ、雨乞いとその返礼踊りとして踊られたものである。花笠をかぶった太鼓打や法螺貝吹き、鬼面をかぶり棒と軍配を持った棒振りらが行列を成す姿は地域の伝統文化を色濃く伝える。

黒川には上の平・中ノ組・市場・川西の4つの集落があり、太鼓踊りでは上組(上の平・中ノ組)と下組(市場・川西)の2つの踊り組に分かれる。太鼓踊りを演じるのは青年会の青年たちで各字から太鼓役・法螺貝・棒振りを各1人、・歌出し・踊り警護・役員警護を各2人、側(がわ)とよばれる歌役数人という構成となっている。
祭りの朝、踊り手たちは集会所に集まり衣装を着け出発前に踊る。その後、法螺貝を長く吹き、それに合わせて太鼓を打ち鳴らしながら行列して神社へと向かう。青木ヶ瀬橋のたもとで上下の踊り組が合流する儀式である「出会い」が行われる。「出会い」では双方の踊り警護が挨拶を交わし、区長、棒振り、太鼓、貝吹きと続く。棒振りは自身の身長ほどの長さの棒を右に左に回しながら近づき、互いに牽制し合ってぶつかるなど激しいものがあり、過去には鬼面が割れることもあったという。「出会い」がおこなわれると一行を待っていた神職らを加えて大宮神社へ向かう。
神社へは正面から上組と下組にわかれて順に踊り込み、境内では上組が日野踊りと神楽踊りを、下組が馬場踊りと神楽踊りを踊る。行列の前後と踊りの順番は隔年交代で行われ、最後に上・下組合同で大黒踊りが奉納される。棒振りと太鼓打を中心に歌だし、側踊り、法螺貝吹きが輪になって演じられる。境内での踊りを終えると一行は神社を出て別れの「出会い」を行いそれぞれの集落へと帰っていく。

黒川を含め甲賀市内に多く伝承されている太鼓踊りは雨乞いや豊作祈願、村の慶事に踊られた伝統芸能で、平安から室町時代にかけて民衆の芸能文化として発達した「田楽や風流」の流れをくんでいる。昭和57年(1982)に「黒川の花笠太鼓踊」として滋賀県の無形民俗文化財に選択され、そのあと旧山内村であった山原女と黒滝の「花笠太鼓踊」を一括して「土山の太鼓踊り」という名称で、平成元年(1989)に滋賀県指定無形民俗文化財に指定された。

近江盆地の河川は伏流水が多く水量が少なかったため、水田の用水確保が難しく、雨の降らない日が続くと降雨を祈願しなければならなかったという。
雨乞いはまず宮籠りからはじめ、効果がないと3日から7日へと日数を次第に増やしていく。それでも降らないときは、家ごとに笹を軒に出す・お百度を踏む・鉦や太鼓をならす・松明をもって山へ登り大火を焚くなどあらゆる手段を尽くし、最後の手段として太鼓踊りが行われた。願いがかなえば踊りを奉納すると願をかけたという。近江に太鼓踊りが数多く伝承されているのは近江の人がいかに水不足に悩まされていたかを物語る証でもある。雨乞いの太鼓踊りは命がけで踊られるものであった。
昭和30年半ばまでは黒川太鼓踊りを一日かけて奉納していたが、人々のライフスタイルの変化とともに午後から行われていた「順役踊り」が簡素化されたまま休止状態となっていたという。平成23年はその順役踊りが半世紀ぶりに復活した。伝え残そうという人々の思いが込められた祭りでもある。