歴史再発見

百間堤・大津市大物地先

百間堤・大津市大物地先

基本情報
名称 百間堤(ひゃっけんつつみ)
所在地 大津市大物(だいもつ)地先

※平成31年3月現在

~「百間堤」に治山と治水を学ぶ~

江戸時代の嘉永5(1852)年、暴風雨により比良山から流れる四ツ子川が氾濫し大きな被害が出ました。当時山麓の大物村を治める宮川藩はわずか一万石の小藩。比良山を流れる川は大きく曲がり、伐採された比良山は洪水や土砂崩れが相次ぎ田畑があれ、飲用水にも困る土地柄でした。藩主宮川豊前の守は比良山を守るため、村人の命を守り村人の田畑が栄えるよう、一大事業に挑みまし
た。5年8ヶ月の歳月をかけ、全ての村民が、福井から招いた棟梁・佐吉の指導で、長さ百間もの堤を築きました。それが「百間堤」です。先人の努力と、村を守る心と、美しい景観を愛する文化を学びましょう。

 

大津市(旧志賀町)大物地先の「百間堤」上部の石畳。滋賀郡大物村は、坂田郡宮川村(現長浜市宮司町)に政庁があった一万石の小藩である宮川藩の領地でした。嘉永5年(1852)の暴風雨により四ツ子川が氾濫、大きな損害を受けたため、同藩が堰堤を築き水害を防止しました。

 

山中に現れた百間堤は城の石垣のようです。長さ約200m、高さ18mの巨大堰堤。1mは優に超える巨石が美しく積まれている。堤は四ツ子川の本流に沿ってやや左折れに築かれ上流部からの土石流をうまく受け流すような堤防になっている。石積みの法勾配は3分〜5分程度の安定した積み方で水路が横断する測石が崩れないよう両側の石積み部から石材を利用した仕方工が2段設置されており、現在も完全な姿で残る。

 

工事の棟梁は若狭の国(福井県)ら石積み名人の佐吉を呼び寄せた。近郷の男女が工事に携わり、男は日当米一升、女は日当米五合で出仕させた。地元では本流の「百間堤」に続く下流の部分は「女堤」と言われ、女性が持てる程度の石で作られている。さらに下流部分は砂場として本流部へ導かれていたという。まさに村人総出の治水事業だった。このような石積みは近府県に例をみないという。

 

治水は治山から始まる。「百間堤」は比良山を敬う村人の心と、比良山を治める自然から学んだ技術が融合した、数少ない事例だろう。今も水は美味しく、私たちの生活を育んでくれる。そして災害は減少し、景観は美しい。琵琶湖へ注ぐ水は清らかだ。これからは、私たちが治水と治山を永遠に担う役割を託されている。

 

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