諸々 再発見

安曇川やな漁・高島市安曇川町~その1

安曇川やな漁・高島市安曇川町~その1

基本情報
名称 安曇川やな漁
URL
文化財指定等 平成18年水産庁選「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」
所在地 高島市安曇川町北船木 安曇川南流
電話番号 0740-34-0005(北船木漁業協同組合)
期間 3月上旬~7月末。漁期は24時間体制
定休日等
料金 見学無料
※平成22年11月現在

~扇形に広がる美しいやな場の風景~

安曇川北流のやな漁。

安曇川北流のやな漁。

 近江の国の暮らしは、古来より琵琶湖の恵みによって支えられてきた。海岸線をもたない近江では琵琶湖の豊富な漁業資源は、貴重なタンパク源としてことのほか重要だったのだ。そのため県内各地には、えり漁、おいさで漁ほか、多彩な漁法が今に伝わっている。
 そんな伝統漁法のひとつ、高島市安曇川町内を流れる安曇川の河口域では、アユやウグイ、アメノウオ(ビワマス)などを獲るためのやな漁が古くから行われてきた。その歴史的、文化的重要性から「安曇川のやな漁」は、平成18年に水産庁の「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選」に選定されている。
 安曇川のやな漁の起源は千年近く前、一説には千数百年前にまでさかのぼるという。文献には、平安時代後半の寛治年間以降、安曇川は京都・上賀茂神社(賀茂別雷社)の「安曇河御厨(みくりや)」となり、アメノウオ(ビワマス)やアユ、コイなどを献上していたという記録が残っている。「御厨」とは、神様へのお供え物「神饌」(しんせん)を献じる重要な役割を担っていた神領(じんりょう)※1のことで、河口部の北船木周辺に住む「神人」(じにん)※2の26戸52人だけが漁を許されていたという。その由緒から、現在でも毎年5月15日に上賀茂神社で執り行われる葵祭りのときには、氷と塩でしめたアユを干した「干しアユ」が、10月1日の「安曇川献進祭」ではアメノウオが奉納されている。
 一方、長い歴史のなかでは特権的な漁に対して反発する者もいたため、中世、近世を通じて、ときには利害を巡って抗争も起きていたようだ。明治時代の初めには政府から治水の問題があるとしてやなの廃止を命じられるという、やなの歴史が始まって以来の危機も訪れたが、形状の改善などの努力と関係者の熱意により、安曇川のやな漁の伝統は絶やされることなく今日まで存続することができた。

やなは安曇川南流の川幅150mを横断するように設置され、扇形をしている。中心部が両端より18cm高く、やなの上流と下流とで1mほどの落差がある。

やなは安曇川南流の川幅150mを横断するように設置され、扇形をしている。中心部が両端より18cm高く、やなの上流と下流とで1mほどの落差がある。

 やな場は、河口近くで分流している安曇川の北流と南流に設けられており、その双方を中州に位置する北船木地区の「北船木漁業協同組合」が管理している。
 今回、安曇川のやな漁に詳しい北船木漁協副組合長の木村常男さんにその歴史と現状についてお話を伺うことができた。木村さんは、第19期の琵琶湖海区漁業調整委員も兼任されている琵琶湖の漁業についての専門家だ。安曇川南流に設置されたやな場を訪ねると、やな場を見守る漁師の方々が番屋に詰めていた。やな場は現在約160人の北船木漁協の組合員のうち、20数人が管理、運営を行っている。
 取材で訪れた6月のこの時期は、アユの漁獲がピークを迎えていた。川幅いっぱい扇形に簀(す)を張って、堰き止めをしているような形状のやなは、地元漁師の言葉で「カットリヤナ」と呼ばれている。やなには大きく分けて「上りやな」と「下りやな」の2種類があるが、川を上る魚を獲る安曇川の「カットリヤナ」は典型的な「上りやな」のひとつといえる。湖から遡上してきたばかりのアユやハスなどが、さらに上流へと向かおうとして簀の下側を伝っていくと、川岸にある「カットリグチ」と呼ばれる捕獲口に誘導されて、生け簀に落ちる仕組みになっている。川の水面より低い位置にある生け簀に一度落ちた魚は、飛び跳ねても川へは戻れず、ポンプで汲み上げられて大型の生け簀へと移される。
「掻き獲る所」の言葉から転じた「カットリグチ」から魚が次々に小さな生け簀に落ちていく。まさに「掻き獲る」かのように次々に獲物が吸い込まれていくその光景を見ると、このやなのことを「カットリヤナ」と呼ぶようになったというのも頷ける。その形状は時代を経るごとに少しずつ改良されてきたそうで、現在見られるようなやなの形になったのがいつの頃かは定かでないが、明治時代初頭には確立されていたという。

秋には産卵期を迎えたビワマスが安曇川を遡上し、「ビワマスの網やな漁」がここで行われる。滋賀県漁業協同組合連合会では、毎年ビワマスの増殖事業が行われ、その卵を確保するために、特別に県の許可を得て、北船木漁協をはじめとする漁協等を従事者としてビワマスを獲っている。卵は知内川にあるふ化場において種魚まで育てられ、放流される。

秋には産卵期を迎えたビワマスが安曇川を遡上し、「ビワマスの網やな漁」がここで行われる。滋賀県漁業協同組合連合会では、毎年ビワマスの増殖事業が行われ、その卵を確保するために、特別に県の許可を得て、北船木漁協をはじめとする漁協等を従事者としてビワマスを獲っている。卵は知内川にあるふ化場において種魚まで育てられ、放流される。

 やなの設置は、「ヤライ」と呼ばれる土台づくりから始まる。土嚢や蛇篭(じゃかご)※3に石を詰め、それらを想定されるやなの形状に合わせて川底に沈めていく。土嚢は、かつて俵に土砂を入れたものだったが、最近は俵自体が入手困難なのと使い勝手の良さからポリエチレン製の土嚢袋を用いるそうだ。この土台づくりのことを木村さんら漁師は“仕込み”と呼ぶ。昔は仕込みは「寒の入り」頃(1月初旬)に行っていたが、最近は雪や寒さが厳しくなる前の12月ごろに始めるという。土台づくりは、やなの出来栄えを左右する最も大切な作業で、やなの扇状の曲線と上下流との落差を決定付ける。遡上しようとする魚の習性と川の流れを計算し尽くした複雑なやなの構造が、魚たちをカットリグチに誘導する。まさに先人たちの知恵と技の結晶といえよう。仕込みが終わって漁の解禁日までのしばらくの間に、この「ヤライ」は川になじんでくる。解禁日直前になると、やなに竹製の簀が張られ、扇状に広がる美しいやなの姿が現れる。
【その2へ続く】

※1…神社の領地のこと
※2…古代、中世において神社や神領で雑役などを行うために仕えていた人々。この場合は漁労を行い、上賀茂神社に献上することを役務としていた漁業者。神人には、手工業職人、芸能者、商人などもいた
※3…亀甲網目状に編まれた筒型のかごに砕石を入れたもので、護岸補強などに用いられる。伝統的なものは竹で編まれたものだったが、現在、一般的には鉄線が使われている

その1 その2 その3

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