高島市海津・西浜・知内の水辺景観
高島市海津・西浜・知内の水辺景観
名称 | 高島市海津・西浜・知内の水辺景観 |
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URL | – |
文化財指定等 | 重要文化的景観(平成20年3月)、近江水の宝選定 |
所在地 | 滋賀県高島市マキノ町海津周辺 |
電話番号 | TEL:0740-22-6111 FAX:0740-22-6113 (社)びわ湖高島観光協会 |
営業時間 | – |
定休日等 | – |
料金 | – |
※平成24年2月現在 |
~生活の中で培われてきた水辺景観~

滋賀県の北部に位置する高島市マキノ町海津。桜の名所として知られる海津大崎があることで有名だが、この地域は全国で5番目に重要文化的景観に選定された「高島市海津・西浜・知内の水辺景観」でもある。選定地域は高島市マキノ町海津、西浜、知内の湖岸一帯および知内川と琵琶湖で、広さはおよそ1842ヘクタール。琵琶湖をはじめとする河川や内湖、湖岸の石積みや共同井戸、漁港や砂浜の周辺、知内川で続けられている伝統的なヤナ漁など、水と共に暮らしてきた人々の生活や文化が息づく地域である。

海津大崎の桜並木からマキノ駅の方に目を向けると古い町並みと石積みの護岸がある。この高さ2.5mの石積みは海津~西浜の湖岸に沿って約1.2km続いており、景観を構成する重要な要素となっている。
西浜村に残る記録によると、元禄15年(1702)にたびたび大波があり、家屋や街道が被害にあっていたという。そこで甲府藩領高島郡の代官として赴任した西與一左衛門が海津東浜の代官・金丸又衛門と協議し幕府の許可を得て元禄16年(1703)に湖岸浪除石垣を東浜668m、西浜495mにわたって築いたとされている。当時の村人たちがその業績をたたえるために建てた石碑が西浜蓮光寺に現在も残っている。また、別の記録によると海津の石積みはこのころにはすでに築かれていたとされ、江戸時代中期には、ほぼ現在に残る海津・西浜の石積みの景観が完成していたものとも考えられている。

石材は、母岩から割りとった比較的大型の石を部分的に成形して使われており、種類は大部分が花崗岩、一部に流紋岩系、石灰岩などが見られる。加工技術は古い時代のものと新しいものが混在しており、この石積みが波風除けという性格上からも、たびたび改修されてきたことがわかる。
この地は前述のように湖岸沿いに石積みを築くほど、季節風による風や波の影響を受けやすい地であり、また積雪量の多い多雪地域でもある。そのような場所である海津地域が本格的な発展を遂げたのは日本海から琵琶湖を経て京都に向かう湖上交通網が整備された15世紀以降のこと。湖上・陸上交通網の要として多くの人や荷物が行き交う場所となった。特に江戸時代は西近江路の宿場・港町として繁栄したという。実際に散策すれば当時の面影をうかがうことができるだろう。

その一方で漁村としても琵琶湖の恵みをうけており、アユ漁を中心とした漁業の拠点として発展し、それに伴って漁獲した水産物の加工業も発展していった。選定地域にも含まれている知内川は県内有数のアユおよびビワマスの遡上河川で、これらの魚を獲るためにヤナ漁をはじめとする独特の漁法が発達し、今でも伝統的漁法として続けられている。
湖辺や内湖では全国でも珍しい植物や湿地性の希少植物も見ることができる。また、重要文化的景観の要素として海津漁業協同組合旧倉庫、知内川漁業者組合旧倉庫、江戸時代に建造された町家5軒が定められている。石積みを利用して洗濯物が干されているなど今も、地域の人々の生活に密接に関わっていることが分かる。
宿場町・港町・漁村として繁栄してきたことは、地域のお祭り(力士祭り)や街道の面影、多数の寺院があることや様々な民俗行事などで現在にも伝えられている。