歴史再発見

百済寺・東近江市

百済寺・東近江市

基本情報
名称 百済寺
URL http://www.hyakusaiji.or.jp/
文化財指定等 国史跡、本堂は重要文化財、日本の紅葉百選
所在地 東近江市百済寺町323
電話番号 0749-46-1036
拝観時間 8:00~17:00 寺宝拝観は要予約
定休日等
料金 大人500円、中学生300円、小学生100円、団体割引は30人以上 450円
※平成23年8月現在

~百済にゆかりある湖東の古刹~

湖東三山の寺院として知られる釈迦山百済寺。山号に「お釈迦さま」の名を頂く唯一の寺。

 押立山の山腹にあり、城郭の趣を見ることができる天台宗の寺院。湖東三山の中でも最も長い歴史をもつこの百済寺は推古天皇の時代に聖徳太子の勅願によって創建された近江の古刹。開闢(かいびゃく)法要には高麗の僧、恵慈が咒願(じゅがん)導師となり、百済の僧道欣(どうきん)や暦を日本に伝えたという観勒も長く住んでいたと伝わる。建立当時は日本に移り住んできた百済人のために建てられたもので「くだらじ」と呼ばれていた。御堂は百済国の「龍雲寺」を模して建てられている。また、宣教師のルイス・フロイスが「地上の天国」と称したことでも知られ、境内は国史跡の指定を受けている。

長い参道の本堂近くに立つ仁王門。「百寺巡礼」の五木寛之さんが願をかけたとしても知られる大草履。昔から身体健康、無病長寿のご利益があると言い伝えられている。

 建立からいくらか時代が過ぎ、比叡山に天台宗が開創されると天養元年(1144)に天台の寺院となる。その後この地方に多い天台領の後ろ盾により鎌倉時代から室町時代にかけて最盛期をむかえる。堂や坊舎等の建立が相次ぎ、一山の僧俗合わせて1200人がこの寺域に住み、そのふもとには百済寺の村々が栄えるなど「湖東の小叡山」と称されるほど大きな寺院となった。
 百済寺はこの長い歴史の中で度々の火災や兵火のために再建を繰り返してきたが、天正元年(1573)織田信長の「百済寺焼討ち」ではほぼ全山が焼かれ本堂など多くの建築物や寺宝が焼失してしまった。この地に勢力をもっていた佐々木氏の一族六角氏が、鯰江城(なまずえじょう)を百済寺の近くに築き、寺院では妻子を預かる、食料を送るなど六角氏を援護したため、信長は自分と敵対していた佐々木氏に味方するものとして、百済寺を焼き討ちしたというのだ。その後、彦根藩主井伊家や甲良豊後守宗廣らにより慶安3年(1650)に本堂、仁王門、山門などが再建され、現在に至る。

天下遠望の庭園とも呼ばれる百済寺の庭園。高台の遠望台からは湖東平野が眼下に広がる。

 山門を通り、参道を進むと左側に本坊の喜見院があり、そこから石段を上ったところに仁王門、さらに上ったところに本堂が建つ。参道両側には石垣を築いた僧坊跡があり、かつては多くの建物が軒をつらねていたことが伺える。多くの木々が秋には見事に色づくことから紅葉の名所としても知られている。
 また百済寺には「天下遠望の名庭」と呼ばれる、湖東平野と湖西の山並を一望できる庭園がある。池畔の平らな石を「拝み石」、渓流の源に配された石を「不動石」とし、自然の谷川の水が石の間を渓流となって流れ、池に落ちるように造られている。ここから眺めて西方880キロメートル先には「百済国」があり、多くの渡来人はこの地から母国を偲んだと思われる。

喜見院横にある菩提樹。花の見頃は6月下旬から7月上旬にかけて。

 本堂の横には樹齢推定1000年の菩提樹がある。これは信長の焼き討ちの際に幹まで消失したが、熱が根にまで及ばなかったために幹の周囲から再び蘇って今日にいたる。本坊横の菩提樹は本堂横の菩提樹から株分けしたもの。こちらも見事な花をつける。夏になると境内には咲き誇る菩提樹の花の香りを感じることができる。住職の濱中亮明さんは「菩提樹はインドでも暑いときに咲く花です。夏の暑い時期でもお寺は山中にあるため涼しく感じることができますのでぜひ一度お参りください。」と話す。

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