生活再発見

琵琶湖疏水・大津市

琵琶湖疏水・大津市

基本情報
名称 琵琶湖疏水
URL http://www.city.kyoto.lg.jp/suido/page/0000006469.html
文化財指定等 国史跡(平成8)、近代化遺産(平成19)、疏水100選(平成18)、
近江水の宝(平成21)
所在地 大津市観音寺(琵琶湖疏水第一トンネル)
電話番号
営業時間
定休日等
料金
※平成24年4月現在

~日本人の手で成した明治の大偉業~

琵琶湖疏水第一トンネル。ここから京都へと水が流れていく

 琵琶湖疏水第1トンネル付近は大津市の桜の名所ともなっており、三井寺の桜とともに春になると多くの見物客が訪れる。この琵琶湖疏水は、琵琶湖の水を京都に送るもので、大津市三保ヶ崎で取水し、山に掘られたトンネルを通り京都市の蹴上へと流れる人工の水路。明治時代に青年技師・田邉朔朗の指導のもと建設された。国内初の水力発電や飲料水の供給でも大きな役割を果たし、現在もその役割を担うもので、日本の近代化の象徴とも知られる。平成21年に近江水の宝に選定された。

 明治時代に入り、東京遷都により活気を失った京都に元気を取り戻そうと取り組まれた琵琶湖疏水建設の計画。衰退していく京都の復興、産業の振興、田畑の灌漑など様々な期待のかかった一大事業であった。この事業に大きく関わったのが第3代京都府知事の北垣国道(きたがきくにみち)と青年技師の田邉朔郎(たなべさくろう)。明治14年(1881)北垣知事が琵琶湖疏水の検討を始め、準備期間などを経て膨大な費用をかけた工事が明治18年(1885)6月に着工された。

第一トンネルの入口部の扁額。伊藤博文の揮毫で『氣象萬千(きしょうばんせん)』と書かれている。「様々に変化する風光はすばらしい」という意味。

 山をくりぬいて水路を建設するという困難な工事であり、第1トンネルは長さ2436メートル。完成を危ぶむ声も多かった。しかし、山の両側から掘っていくと共に、山の上から垂直に穴を掘りそこから山の両側に向けて掘り進める竪坑方式を採用することでこの難工事を成功に導いた。ここまで大掛かりなものはこの工事が初めてで、その作業がほとんど人力で行われたことは驚きである。また、土木設計や施工において欧米技術に立脚した土木技術をお雇い外国人の手ではなく、日本人技術者だけによる設計、施工が行われたため、その象徴的工事としても知られている。明治18年(1885)に着工した第1疏水が明治23年(1890)に完成し、その後、第2疏水が明治41年(1908)に着工され明治45年(1912)に完成した。

琵琶湖疏水の計画にあってはいくつかの注目すべき点がある。
一つは水力発電所。この疏水計画は着工前後に何度も変更されたが、大きな変更点としては水路を利用した水力発電の実用化だと言えるだろう。工事の途中、田邉朔郎らが水の利用方法等について米国へ視察に行き、水力発電の実用化に踏み切った。これにより日本初の業務用水力発電所となる蹴上発電所が明治24年(1891)運転を開始する。この電力を用いて、京都伏見間で日本初となる電気鉄道・京都電気鉄道の運転が始まった。
 もう一点はこちらも日本初の施設として建設された蹴上インクライン(傾斜鉄道)。これにより、高低さの大きい地点でも疏水を行き来する船が通ることが可能となった。蹴上と南禅寺の舟溜りを結ぶ蹴上インクラインは当時世界最長であった。開通から十数年ほどは貨物、客船と舟運用の水路としても利用されていたが、陸上交通の発展により舟の姿は消えてった。現在は廃止されているが、一部の設備は昭和52年(1977)に形態保存されている。
 蹴上のインクライン跡の近くには平成元年に開館した琵琶湖疏水記念館がある。建設当時の疏水関連の図面や絵図など様々な資料が展示されている。

三井寺の桜とあわせて大津市内での桜の名所となっている。

 日本の近代化の象徴としても例にあがる琵琶湖疏水は現在では「哲学の道」など観光名所としても多くの人が足を運ぶ。大津市にある「第1トンネル」入り口付近では、三井寺の桜と共に桜の名所として知られ、春先には多くの見物客が訪れる。伊藤博文の揮毫で『氣象萬千(きしょうばんせん)』と第一トンネルの入り口に書かれているように、この移り変わる季節の景色を人々は楽しんでいる。
 1日157万立方メートルの水を琵琶湖から京都へ送る役割を果たす琵琶湖疏水。建設当時から変わることなく、琵琶湖の恵みを多くの人に与えている。

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